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夏休み自由研究④



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『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』④~いちおう最終回!!





前稿の主役であったアウグスト強王が亡くなった(1733年)頃からの約100年は、ドレスデン史というよりも時計史に注目しなければならない。
なぜならばこの100年の間に、王や貴族など支配階級のものだった”時計”および”時間”という概念が市民生活の必需品となるという大変革が起こるからである。


そのストーリーの重要な担い手のひとりが、スイス北西部のフランス国境に近いヌーシャテルに誕生する。1747年のことだ。
その人物こそ、今後200年はかかると思われた時計の進化を、まるで未来から来たタイムトラベラーのごとく、わずか50年足らずのうちに成し遂げてしまうアブラアム=ルイ・ブレゲその人である。
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※アブラアム=ルイ・ブレゲ(1747年1月10日 - 1823年9月17日)


大航海時代の到来により、ヨーロッパ人にとっての新世界が次々“発見”されていた時代を経て、18世紀半ばから19世紀は産業革命・動力革命により商いが商業へと規模を変え、ヨーロッパ自体が“近代”へと脱皮した時代だった。人力や馬車で運搬されていた商品が、鉄道や蒸気船の登場により、より多くより早く移動されるようになると、人々は今まで感じもしなかった時間という概念の大事さに気づき、正しく正確な時間を求め始めた。
第3回で述べたような、支配者が独占してきた時の概念が、市民の共有物となり、むしろ逆に時刻を告知することが支配者の業務となったのである。

時の概念というものが大きな転換を迎えた時代において、ブレゲは最高の仕事を残した時計師だった。ブレゲの一族は、フランスの宗教戦争の際スイスに移住したフランス人プロテスタントだった。(なぜプロテスタントが時計産業に親しむのかは第一回を参照されたい)。彼が発明したとされるものを列挙するだけでもすごいことになる。
「永久カレンダー」、「ミニッツリピーター」、「トゥールビヨン機構」はつとに有名だが、現在も使われる「ブレゲヒゲもしくはブレゲ・カーブ(時計の精度を著しく高めたヒゲゼンマイ)」、「ブレゲ数字(独特のインデックスの書体)」、「ブレゲ針(穴空き針)」、「ギョーシェ彫(文字盤の装飾)」といったものや、「耐振動装置」を時計に組み込む概念も彼が初であり、逆に振動を活かした「自動巻き」の機構を大きく進歩させたことでも知られる。


正確な時を告げることが支配者の証しとなったのは、ヨーロッパ随一の文化都市ドレスデンにおいても例外ではなかった。

1776年、ドレスデン宮廷の「調査官」に任命された天文学者ヨハン・ゴットフリート・ケーラー(1745~1800)は、ツヴィンガー宮殿内にある芸術品蒐集室「グリューネス・ゲヴェルベ(=緑の丸天井)」および「数学物理サロン」の責任者として、王室の時計コレクションの管理を司ることになる。
もともとはケーラー自身の天文観測のためだったのだが、ケーラーはまず正しい時刻を知る必要に駆られ、レギュレーター式の振り子時計を自作、そしてその時計を基本として、1783年からドレスデンで初めての標準時計業務を創設する。
そしてそれ以後、電波信号による時報送信が始まる1920年代まで、約150年間にわたって王宮はドレスデンの公式現地時間を発表し続ける。この標準時計業務のため王宮時計師が任命され、王宮内の時計塔に暮らすようになるのである。



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※ケーラーの振り子時計(左)とドレスデン王宮(右)、中央に時計が見えるのが王宮時計師が居住した時計塔


標準時計業務とは、『毎日正午にドレスデンの公式時間を特定し、契約した市内各地の時計に伝達するという仕組みで、契約料金を支払えば標準時計業務の担当者が定期的に訪問して、時計の時間を合わせてもらうことができた』(ランゲ&ゾーネのHPから引用)。
これは、振り子時計を使った正確な標準時計業務のかなり早い実例で、有名なロンドンのグリニッジ天文台の時報球の設置(1833年)よりも50年ほど早いことを考えると、たとえ独自の計測とはいえ、ケーラーの標準時計業務の偉大さが理解できると思う。


余談だが、この正確なドレスデン公式時刻に合わせたクロノメーター(時計)を持って担当者が行き来することで時報が送られたという、この業務に使われた時計(1分間クロノグラフ懐中時計「クロノスコープ」)とその業務そのものをオマージュしたのが、2010年のSIHHでA.ランゲ&ゾーネが発表した「リヒャルトランゲ・レフェレンツウーア」という限定時計である。
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※リヒャルトランゲ・レフェレンツウーア



1801年にケーラーの後継者として数学物理学サロンの主任時計師に任ぜられたのが、リヒャルト・ランゲ・プール・ル・メリット・トゥールビヨンの原型となった三重円のレギュレーター懐中の製作で知られるヨハン・ハインリッヒ・ザイフェルト(1751~1817)である。彼は時計製作に秀でていたため、標準時を測る基準時計もザイフェルト製が採用された。
ザイフェルトの後任がシュミット、以下、宮廷時計師の系譜はウィルヘルム・ゴットヘルフ・ロアマン(1796~1840)、ヨハン・フリードリッヒ・シューマン(1759?~1817)、ヨハン・クリスチャン・フリードリッヒ・グートケス(1785~1845)へ連綿と引き継がれていく。 

この間の出来事については、「ドイツ腕時計No.2」に特別寄稿されたツィーマー宮田侑季さんの「独自に時刻決定業務を行っていた数学物理サロン」という記事が大変に詳しいので、ご興味をお持ちの方は是非そちらを参照されて欲しい。



標準時計業務とその精度を高めることに挑み続けたこの100年には、アドルフ・ランゲへと連なるものの三つ目、
「正確にして精密であることを美徳と感じ、技術を持つ職人を芸術家と同等に尊重する姿勢」が育まれたことを指摘しておきたい。




さて、この頃のザクセンはというと…、
1796年にナポレオンに敗れ、さらに1813年にはナポレオンの仏帝国軍とともにライン同盟軍の一翼としてヨーロッパ連合軍と戦い(ライプツィヒの戦い)、またも敗戦。結局、このナポレオン戦争を通じて人口の約半数を失ったのである。
人口だけでなく、1815年の講話(パリ条約)でプロイセン王国に領土の5分の3を割譲、連邦内での主導権もほぼ失った。
そのうえ、解除された大陸封鎖令によって、機械化されたイギリス製品が大量に欧州に流入し、結果、ザクセンの毛織物業は壊滅的なダメージを受け、王国の経済状況は急激に悪化していくのである。
人口、国土、基幹産業、国力、その多くを失ったザクセン王国であるが、この最大の国難を前に、国は貸付金によって企業を支援し、実業家は愛国心を奮起し、技術者・職人は発明精神を発揮して、国の復興を目指す努力が始まろうとしていた。
このようにザクセンが敗戦と復興の狭間にあった、まさに1815年、アドルフ・ランゲ(1815-1875)は王都ドレスデンに生を受けるのである。


ここまで述べてきた、アドルフ・ランゲへ連なるドレスデンの精神性をもう一度整理してみたい。

①「信仰を実用性とを結びつけた合理的視点と革新的行動力」
②「発明(解明・証明)する新しい知識や技術が、生活を豊かにするという信念」
③「正確にして精密であることを美徳と感じ、その技術を提供する職人を芸術家と同等に尊重する姿勢」


まさに”物づくり”に適した環境がそこにはあり、その顕著な完成例のひとつがアドルフ・ランゲという傑出した人物の存在によって、クラスヒュッテという町に集約されていくのである。

うえの3つをまとめると、それはまさに時計製作の根幹とシンクロするかのように胸に響いてくる気がする。

『新たな知識や技術を重視し、新しい発想にも寛容で、工夫と探求の精神に富んでいること。科学者や職人を芸術家と同等に貴ぶ気風に溢れているため、道具であっても美しいもの、つまり美しさと実用性を兼ね備え、長持ちする製品を美徳とする精神が、ごく当たり前にそのバックグラウンドに蓄えられている』


いかがだろうか?


というわけで、ここまでアドルフ・ランゲ以前の300年を、”物づくり”や”精神性”という面をフィーチャーして、駆け足でみてきたわけだが、
これ以降の1815年以降の物語、つまりアドルフ・ランゲの生涯については、


8月31日発売の「ドイツ腕時計」に続く!!・・・・・のである。

もともとはその本のために「アドルフ・ランゲ500年史」という企画で書き始めたものの、予定の5倍くらいの文字数となってしまったため(笑)、
前半の300年分を割愛し、それを「夏休みの自由研究」として拙ブログに転載したのがこれなのだが、では、残りの200年が「ドイツ腕時計」に掲載できたのかというとそうでもなくて(笑)、結局「ドイツ腕時計」にはアドルフ・ランゲの60年人生が精一杯だった・・・。

ということは、500年ー(300年+60年)=140年分くらいが書けていないわけである(笑)。

リヒャルトとエミールの時代はもちろんの事、ルドルフやオットーの時代、ランゲ家の女性たち、ナチスとランゲ、若きウォルターとDUB、そして復興…などなどである。実はアドルフ・ランゲについても、まだ書き切れていない部分があったことも否めないので、(いつになるかはわかりませんが)、何らかの機会にまとめたいと思う次第である。





※あ~、でもなぁ、夏の自由研究になると、アクセス数が大人しくなり、直帰率が高まるので、もうブログではやらないかも(笑)。













【付録】
夏休み自由研究の最後、余談ついでに、
ドレスデンの発明精神を裏付ける“ドレスデン発祥の発明品”について、以下、付録的・箇条書き的にまとめておこう。

第一回~四回までの本稿中でも、

●ヨーロッパ磁器(マイセン。アウグスト強王の強い要請と監禁のもとで、錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベトカーがヨーロッパで最初の白磁と同時に世界初の硬質磁器を発明)。
●時刻決定業務(振り子時計を使った正確な標準時計業務) などを紹介してきたが、


それ以外にも、
●世界最初の乗用ケーブルカー:
1898~1901年にかけて、ケルナー広場から展望台まで、長さ247 メートル、高低差84 メートルのケーブルカーが敷設された。

●世界初のうがい薬:
1893年ドレスデンの工業家カール・アウグスト・リングナーが「オドール」を開発。そのハーブの薫りは“ドレスデンの香り”としては世界的なヒット商品となる。

●世界初の歯磨きチューブ:
それまでは粉だったが、1907年、ドレスデン旧市街のライオン薬局のフォン・マイエンブルク博士が練り歯磨きを開発。

●チューブ入りの靴クリーム:
チューブつながりだが、これもドレスデンのエクベルト・グュンターが創立したEg-Gu商会が1919年に開発し発売したもの。

●ロールフィルムを用いた近代的一眼レフカメラ:
これもドレスデンからの発明。1936年、「キネークスアクトラ」がライプツィッヒの定期市で発表されている。

最後に、変わった発明では、1895 年9 月5 日、クリスティーネ・ハート嬢がバストの形を保つ胸当ての初のドイツ特許をドレスデンで申請。これを世界初のブラジャーとする説もある(笑)。これに関しては諸説ある。

また、ラーデベルガーのピルス・ビールなど食品関係でもドレスデン発祥は多い。
有名なところではバームクーヘンだろう。諸説あるものの、1807年ザクセン近郊のザルツヴェーデルで最初のバウムクーヘンが焼かれたという記録が残っている。

その他にも、

●コンデンスミルク:
それまではサワーミルクが主流だったが油脂が溶けきらない欠点があったため、酪農家プフゥント兄弟が1886 年に発明しました。1900 年には低温殺菌法も開発。

●コーヒーフィルター:
1908年、当時35 歳だったドレスデンの主婦メリタ・ベンツはコーヒーフィルターを発明し特許を取る。今日にも続く「メリタ」の創業である。

●ビール・グラス敷(吸水性コースター):
1892年ドレスデンのルドルフ・シュプートが特許取得。


また、発明品ではないが、古いところでは、シュトリーツェル・マルクトと呼ばれるドレスデンのクリスマス市がヨーロッパのクリスマスマーケットの始まりとされている(1434 年の発祥)。
ちなみにこの名称は毎年第二降臨節の日にナイフを入れるクリスマスの代表的なシュトーレンという菓子(シュトレン・ドレスデン・クリストシュトーレンと呼ばれる)にちなむもので、この日にエルツ山脈地方の町々で作られた木製玩具のような手作り工芸品、陶器、特産食品など様々な品がマーケットに並べられたことから興ったとされている。



































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by A-LS | 2015-08-28 01:03 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(6)

夏休み自由研究③


第①会はコチラ

第②回はコチラ


『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』③



第2回では、ザクセン選帝侯アウグスト大王やフリードリッヒ・アウグスト強王らが収集した膨大な美術品や当時の最新機器がドレスデンにもたらされたことで、それらを目の当たりにしたドレスデン市民の学問的興味や探求心が増幅され、結果として、市民の文化度が高まり、自由にして科学的で誇り高いドレスデン気質を生む大きな要因となったことを書いた。

現代でも珍しい文物が公開されれば博物館に行列ができる。300年前の今よりも圧倒的に娯楽の少ない時代、機会さえ与えられれば、おそらく市民の殆どが、貴重な機器や珍しい文物を実際に目の当たりに見て、とてつもないインパクトを得たことであろう。宇宙展を見た子供が宇宙飛行士になる夢を見るように、ドレスデンの多くの若者たちにとって、科学技術や文化に関わる仕事は憧れの職業になったに違いない。
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※ドレスデンのツヴィンガー宮殿内にある「数学物理サロン」の入り口と収蔵品の一部。天体観測器や計測器など、現在でも見るだけでワクワクする機械が膨大に収められている。


しかし、王家や君主がなぜ時計や計測器を集め、そのコレクションに没頭するのだろうか。
もちろんこれはドレスデンだけの特別な傾向ではないし、ましてやドレスデン歴代の王がたまたま同一の趣味を持っていたからなどという偶然のレベルではなく、そこには、国家統治という王侯貴族の最重要目的に関連する理由があるのである。



古来、支配者にとって最も重要な専任事項のひとつが暦の作成であった。
時を司ること、暦を作ること、それこそが神もしくはその権威を現世で実行できる支配者(=王権)の証しであったのだう。
古代文明の多くが、春分、秋分や夏至、冬至の見極めることのできる建造物や仕組みを持っているのがその証拠である。
天文学的な知識をもって、春分や冬至の祭礼を執り行っていた形跡は世界中にみられる。
もしも何の知識も計測器もない状態であったとしたら、21世紀に生きる自分でさえ、一年が365日で昼夜の長さが等しい日があるなどという発見ができるとは全く思わないが、古代人は驚くべき集中力と観察眼を持って、それを発見したのだ。

古代から近代まで人類の夜は闇の中にあった。唯一の光りは月と星。娯楽のないその時代に、天空を飽きずに眺めることは意外に普通な夜の過ごし方だったようだ。
その時代の人々にとって、夜空はいわば映画やTVみたいなものだったとも言える。
月の位置や満ち欠けの観察は氷河期の狩猟社会に始まるという。有名なストーンヘンジ(夏至の日の出が遺跡の中央から昇るように作られている)も紀元前3000年頃だし、農耕文明においては、種まきや収穫の時期を知るためにも暦は不可欠のものとなった。そしてその収穫は税や富に直結するため、支配者にとって暦は独占すべき重要なものであり、支配権と暦とは切り離せないものだったのだ。
もし仮に、その天文的知識が、日食や月食を予言できる域にまで至っていれば、間違いなくその者は古代では神とあがめられただろう。
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※ストーンヘンジ。屹立する石組には天文観測の成果が組み込まれているという。


時計も同様だ。中国の北宋に世界初の脱進機つき時計台である水運儀象台が建設されたのは1088年のこと、水運儀象台は国立の時計台であると同時に天体観測天文台でもあった。また暦と並んで機密度が高いのが地図であった。これは田畑の面積から税収の計算の根拠になると同時に、地の利を得なければならない戦争での優劣・勝敗にも直結する。

皇帝や王と呼ばれた支配者が、暦や天文や測量に直結する計測器を好んで集めたのは、まさにそのためなのである。

同時に、戦争で欠かせないのも科学である。
兵器としての大砲が進化すれば正確な距離計や角度測量器具が、船舶や航海術が進化すれば羅針盤や正確な時計が最高機密機器となるのである。

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※数学物理サロンには地球儀だけを集めた展示室まである。右下は大砲の角度と砲弾の着弾距離の関係を研修したもの。


アウグスト強王が愛し集めたとされる、“新しいもの”、“正確なもの”、それが収集されたのはすなわち、自分の権威を高め維持するために必要不可欠な文物だったからに他ならないのだ。

1733年にこの世を去ったアウグスト強王がドレスデンに残したものは多い。強王の語源のひとつとも言われる365人から382人と言われる遺児も凄いが(!)、ツヴィンガー宮殿やアウグスト橋といった建築物、エルベ川沿いに整備された散策路を含む美しい公園の光景、それらは誰の目にも一目瞭然なほど大きな遺物だが、王の遺した最も大事な遺物こそ、ドレスデンを学問都市へと導いたことで生まれた市民の精神性ではないだろうか。

物事を科学的な視点で研究し、さらに一般にも惜しみなく伝える姿勢、それによって育まれていく郷土の繁栄に対する自信と愛情――そこにはアドルフ・ランゲへと連なるもののふたつ目、「新しい知識や技術は生活を豊かにするという信念」が生まれたことを指摘しておきたい。










(以下次原稿)






















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by A-LS | 2015-08-22 20:13 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(0)

5分時計の中の人

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ご存知、ゼンパーオーパー(ゼンパー歌劇場)の5分時計。

過去、火災による消失などもあって、現在の時計は3代目なのだけれど、裏側の仕組みはとってもシンプル(しかも現在の動力は電気!)。
オペラのオフシーズンにはバックステージツアーを含む観光ツアーが時折開かれているらしいが、普通はなかなか見られない。
でも、その裏側が映った動画をランゲ&ゾーネがアップした。

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これは、「6th F. A. Lange Scholarship & Watchmaking Excellence Award」という動画で、ランゲが毎年行っている F. A. Lange 奨学金のためのコンテストにエントリーされた8名の参加者がドレスデンとグラスヒュッテに招かれた際の画像。

ドレスデン編は、それぞれほんの一瞬ではあるけれども、数学物理サロンやアーケード門など、ドレスデンの時計名所が見られる。
その中のひとつとして、ゼンパーオーパーの5分時計とその裏側も登場(だいたい開始1分頃)。

ちなみに、今年のコンテスト・テーマは”ウィークカレンダー”だそうで、優秀者の発表は12月7日のランゲ創立記念のパーティにて。


それからこの動画では、テーマなどをレクチャーする”Mr.製品開発部長”のシーンもあって、そこでは、知る人ぞ知る、部長主演の”デハス劇場”の一端も垣間見れる(笑)。





















by A-LS | 2015-08-21 13:09 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(0)

夏休み自由研究②



前回より続きます。



『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』②




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  ※写真はアウグスト強王が竣工したツヴィンガー宮殿の門。塔の上の王冠はポーランド王を兼ねた強王の象徴として置かれたとされる。



ドレスデンにおいて、発展する都市化の恩恵に与った最初の領主がザクセン選帝侯アウグスト大王(1526-1586)だった。
王は近郊のエルツ山地から採掘される銀を裏付けとする富を蓄積し、大航海時代の賜物といえる世界中から得られた珍奇な文物やら、ルネッサンスがもたらした芸術品やら、当時の最新科学の結実である計測機器などの実用品を膨大に集め、それらを当時のヨーロッパで流行し始めていた「驚異の部屋(=ドイツ語でWunderkammer)」という博物館の前身のような空間に収蔵した。このアウグストのコレクションが後の数学物理サロンの基礎となり、ドレスデンの芸術・科学の発展に多大に寄与したことはいうまでもない。

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※選帝侯アウグスト大王(1526-1586)




その後ドレスデンは、30年戦争(1618~48)による荒廃や、ペスト流行というピンチに見舞われるものの、「アウグスト強王」の異名でも知られるフリードリッヒ・アウグスト(1670-1733)の登場によって大発展を遂げることになる。強王はポーランド王を兼任することで絶対君主としての権力基盤を強固にしたうえで、ポーランドの塩や、欧州で初めての硬質磁器(マイセン磁器)の製造に成功するなど、独占的な特産物を得ることでさらに商業を振興させた。派手好みだった王の趣向で宮殿や宴を飾るためという意味もあったが、強王は絵画、音楽、演劇などの芸術を奨励、職人を保護し、壮大なバロック建築となる聖母教会やツヴィンガー宮殿の造営に着手した。このようにして王都ドレスデンはヨーロッパにおける芸術と建築と科学の最先端が集う学術・学問都市となり、人々から”北のフレンツェ“と呼ばれるまでに繁栄した。

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 ※フリードリッヒ・アウグスト(1670-1733)



進歩的で自信に満ちたドレスデンの気風は、まさにこの強王の治世下に形成されたと言ってもよいが、後のアドルフ・ランゲに繋がる重要な施政は、次のふたつと言えるだろう。1723年から始まった「グリューネス・ゲヴェルベ(=緑の丸天井)」の創設と、1728年の「数学計器キャビネット(のちの数学物理サロン)」の整理である。
「グリューネス・ゲヴェルベ」とは、もともと王家の財宝や重要書類などを保管するために1550年頃に作られた保管庫で、天井がアーチ形を組みあわせた形状で、建材の一部が緑色に塗られていたことから、「緑の機密保管庫」と呼ばれていた。強王はこの保管庫をバロック様式の豪華な展示室に改装、王家伝来の財宝や工芸品を集めた博物館として広く公開したのである。わが国の天皇御物など21世紀の今日でも未だ公開されていない宝物が多々ある一方で、この19世紀の時点で、それまで王家や貴族のものであった“美”と“知”を公開した意義は特筆に値する。実物の機器や珍しい文物を実際に見るというインパクトによって、ドレスデン市民の文化・学問的興味や探求心が増幅されたことは間違いないだろう。

また「数学計器キャビネット」とは、ザクセンの歴代の王が取集してきた様々な科学計器や観測機器をひとつのコレクションとしてまとめ、かつまた体系的に整理し、新たにツヴィンガー宮殿に保管したものである。その際、時計だけは別にまとめられて王宮内の「時計の間」に置かれ、以来、この時計を管理・調整するため、宮廷時計師という後のランゲ家にも非常に関連の深い業務が生まれたのである。

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 ※王宮の2階に作られた数学物理キャビネット。驚異の部屋と博物館の中間的な存在。現在で言うと、東京駅Kitteの東大博物館がこれに近い展示方法をしている。




強王の晩年から、ザクセンは連邦の盟主的地位をプロイセン王国に脅かされ、またピヨートル1世率いるロシア帝国の南下など多難な外交関係に悩まされるなど、徐々にかつての輝きを失いつつあった。
そして、やがて勃発するフランス革命とそれに引き続くナポレオン戦争というヨーロッパ史の大波の中に巻き込まれていくことになるのだが、その時期のドレスデンを語る前に、少し寄り道になるが、王家や君主がなぜ時計や計測器を集め、そのコレクションに没頭するのかという、その理由の一端について触れておきたい。


そこには、歴代の王がたまたま同一の趣味を持っていたからなどという、偶然のようなレベルではなく、国家統治という彼らの最重要目的に関連する理由があるのである。













以下、次稿に続く。




















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by A-LS | 2015-08-15 14:52 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(2)

夏休み自由研究(笑)

訳あって、アドルフ・ランゲにまつわる文章を書くことになった。
過去にKlub Langeやアワーグラスさんのイベントなどで断片的にレクチャーしてきた内容を、自分でも一度きっちりまとめて形にしたいと思っていたこともあって、ドレスデンという都市が積み上げてきた精神やザクセン王国の国民性がアドルフ・ランゲに及ぼしたこと、そしてそのアドルフ・ランゲが立ち上げた時計製作の精神が、現在のランゲ&ゾーネや、その時計を使うわたしたちに遺したものまで、約500年におよぶ”時”と”精神”と”哲学”との系譜、題して『アドルフ・ランゲ500年史!!!』というものを書き上げようとしたのだが、意気込んで書き始めた結果、依頼された文字数の3倍ほどになってしまい、あえなく却下(笑)。。。

依頼原稿は別の視点から書き直し(実は今もまだ書いている途中だが)、結果、アドルフ誕生前の約300年分が没稿となってしまった。

で、ちょっともったいないので、こちらに転載してもいいかしら・・・?
これが時計のブログに相応しい内容かどうかはさておき、実はまだまだ原稿がおわらないので、ブログの更新がスムーズにできない対応策の意味でもあるわけで・・・、ま、あれです、夏休みの自由研究的な意味合いとでも受け取ってもらえれば幸いというか。。。


ということで、


『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』


なる長文を連載形式で、今後、ちょこちょこと発表していこうという算段なわけだ(笑)。
では、自由研究の発表!!




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 ※写真はドレスデン夜景より






アドルフ・ランゲ前史
1517年~1815年・ドレスデン気風の確立~その①



ドイツ・ザクセン州に機械式時計産業の隆盛をもたらしたアドルフ・ランゲの生涯を語るには、まず彼が生まれ育ったドレスデンの社会背景やその発展の歴史をみていく必要があると思う。なぜなら、アドルフ・ランゲの誕生前からザクセンの州都ドレスデンに溢れていた先取的・開明的な都市の気風は、それが後のA.ランゲ&ゾーネにまで連なるアドルフ・ランゲの精神性を育んだと言っても過言ではないほど、実に密接な関わりがあると感じるからだ。
少しばかり長くなるが――少しといってもアドルフ誕生の3世紀ばかり前からなのだが――、この稿を16世紀ザクセンから始めることをお許し願いたい。



ドレスデンの気風を語る上でまず不可欠の偉人がいる。何という偶然か、奇しくもアドルフ・ランゲ誕生日のちょうど269年前、1546年の2月18日にその生涯を閉じた人物。その人こそ、宗教改革の創始者であり、キリスト教の宗教思想はいうまでもなく、さらにはその文化や生活に至るまで、ヨーロッパ全体に多大な影響を与えたマルティン・ルター(1483-1546)である。あまり知られてはいないが、彼もまたザクセン人(生誕地も死没地もザクセン州アイスレーベン)だった。


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      ※マルティン・ルター:宗教改革者、プロテスタントの父(1483~1546年)  


アドルフ誕生のおよそ300年前、免罪符の販売などといったカトリック教会の利権構造や教義の解釈を、民衆の生活に根差した視点から疑問視したルターの考えは、『95か条の論題』としてヨーロッパ中に広まった。1517年のことだった。ヨーロッパ人のあらゆる生活の規範となっていたキリスト教に投じられたこの一石は、結果として、カトリック(旧教)とプロテスタント(新教)という、相対するキリスト教会を生むことになる。
こうした思想的対立に各地方の領主や国家間の利権なども複雑に絡んで、フランスのユグノー戦争、オランダ独立戦争、そしてドイツの三十年戦争などの宗教戦争も起こるのだが、ルターの故郷であるザクセン公国は基本的に新教を保護したため、その領内には保守的で形骸化したカトリックとは相容れなかったプロテスタントの人々、つまり、革新的で先取性・科学性に富んだ職人集団や技術者たちが多く移住してきた。こうしてここにザクセン・ドレスデン気質のベースができあがる。

一方、ザクセンのルター派に次ぐ新教の一大勢力がスイスにも形成されていた。それがカルヴァン派で、彼らはスイスのジュネーヴを拠点とした。ザクセンとジュネーヴ! プロテスタントの二大拠点だった地が、共に現在の時計産業の中心地であることは大変に興味深いが、決して偶然ではない。都市としてのジュネーヴならびにドレスデンの近代的発展・繁栄が宗教改革によって促進されたことが、その背景にあったのだ。

たとえば信じがたいことだが、旧教のカトリックでは蓄財は卑しい行為と教えられてきた。それに対しカルヴァン派は、自らの仕事を天から与えられた天職とし、そこから得る正当な蓄財を認めた。当然ながらこの説は、新興の商工業者に大いに支持されることになる。結果、新教とそれを信仰した人々は合理的な商工業を推進し、市民の文化的な成熟度も高まっていった。ルターの宗教改革はまさに、近代ヨーロッパの形成と、それに続く資本主義への道筋を示したもので、ザクセンは最も早くその洗礼を受けた地域のひとつだった。

まずはここにアドルフ・ランゲへと連なるもののひとつ目「合理的視点と革新的行動力」があることを記憶していていただきたい。





(以下次稿へ続く)











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by A-LS | 2015-08-13 18:18 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(6)

クリスマスカード

メリクリです。
みなさんいかがお過ごしでしょう?


昨日ランゲさんからのカードをご紹介しましたが、
中のメッセージがどうしても気になるというメールを頂戴いたしましたので
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手書き部分を除いた和文と欧文を較べてみます。
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こんなかんじです。
シュミットさん、ブスマールさん、そしてランゲブティック・スタッフのみなさん
今年はいろいろありましたが、本当にありがとうございました。

また扉絵のこちらは
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ドレスデンのゼンパーオーパー(オペラ劇場・有名な5分時計のある劇場)をテアタープラッツ(劇場広場)側から俯瞰で見た光景。おそらくレジデンツ宮殿のハンスマン塔から見たものと思います。下は同じ位置からの画像で、右に流れるのがエルベ河、左にはツヴィンガー宮殿が見えます。
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こちらは広場から見たゼンパーオーパー(白いテントはクリスマスマーケット時期だけのもの)。ちなみに手前の騎馬騎士の銅像はゼンパーオーパーを作らせたザクセン王ヨハンの騎兵記念像です。

それでは改めまして・・・
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                   ~…☆メリークリスマス~☆…   
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by a-ls | 2012-12-24 18:06 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(2)

メリークリスマス!

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今年もランゲさんよりクリスマスカードを頂戴しました。
一通はエドモンさん(from Tokyo)から日本語で、もう一通はシュミット氏(from Glashutte)より英語で。
画像で文章の違いを示したかったのですが、手書きで書かれているメッセージにマル秘事項があったため、掲載を断念・・・お許しください。
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(クリックすると[↑]大きくなります。最もクリスマスっぽいランゲを!)
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             ~…☆メリークリスマス~☆…   
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ドレスデン・フォトはKIHさんの作品です☆☆☆
by a-ls | 2012-12-24 02:23 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ランゲ1・ トゥールビヨン・パーペチュアルカレンダーin 緑の丸天井

今年のSIHHのハイエンドであったランゲ1 トゥールビヨン・パーペチュアルカレンダー。
日本への第一号機はいまだ納品されておらず(世界的にもまだ未納品というウワサも!‽)、実機を見る機会に恵まれてはおりませんが、クリスマスの雰囲気にも通じるとても素敵な写真が届きました。

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ランゲの故郷であるドレスデンにはザクセン公国の歴代の王様たちが集めた宝を収蔵した、「緑の丸天井」と呼ばれる宝物館があるのですが、その宝物とランゲ1 トゥールビヨン・パーペチュアルカレンダーとのコラボ・ショットです。

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ご興味のある方はコチラ をご参照ください。
by a-ls | 2012-12-21 20:45 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(0)

"Albert black rose"

こちらにも黒が!!

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非常にドキッとさせられる“新作”

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美しい・・・・!


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いつかは手にしたいブランドです!!
by a-ls | 2012-07-13 15:53 | Lang&Heyne | Trackback | Comments(8)

SIHH 2012 ランゲ&ゾーネ ニューモデル先行情報 #2

一昨年のランゲ1・デイマチック、昨年のリヒャルト・ランゲ・トゥールビヨンに続き、
SIHH前にワン・モデルだけ情報を解禁するのがランゲ&ゾーネの“恒例”になりつつあります。

正式な完全情報解禁はドイツ時間の12月20日・午前9時(日本時間は午後17時)なのですが、そのヒントとして、当ブログでも「SIHH 2012 ランゲ&ゾーネ ニューモデル先行情報」と題し、アンクル・ピーターこと、ピーター・チョン氏のTime Zoneへの投稿をお知らせしました。
なのですが、その最初の投稿へ実に配慮を欠いた書き込みがなされたことで、“ピーター叔父さん”はすっかりデプレッションのご様子・・・
本来であれば我らがアンクル・ピーターは、その後、数枚の写真を情報解禁の7時間前に発表することで、徐々に新作時計の核心にせまるというドラマチックな演出を描いていたようなのですが、本日になって
一気に3枚の写真を発表してしまいました。

まずはこちら

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パワリザに…

つづいて


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タキメーター、つまりはクロノ…


ということは……???































ネタバレNGの人と勘の良い人は見ちゃダメ!!!

More・・・つづく
by A-LS | 2011-12-19 20:09 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(0)