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日本の物づくり~真葛焼・宮川香山とランゲ


幕末から明治初頭、多くの日本人が己を捨て、祖国・日本のため全力で生きた時代があった。
ひとつ間違えば清や他のアジア諸国のように欧州列強に呑み込まれたかもしれない時代に、軍人として内戦を戦った者、政治家として国を開いた者、中には海を渡り欧米の知識や技術を学習・取得し、経済人や、教育者や、科学者や、あるいは芸術家として、祖国の近代化や文化的発展に寄与し、国家としての日本の基礎を作り上げた者たちもいた。

その近代化への献身は、工芸家や職人たちにもおこった。
工芸の多くが藩やお殿様の庇護のもとにあった江戸時代が終わり、その主な消費者層であった武士階級が消え去った後、そこに生まれ・発達した明治の工芸は、ある意味、最も壮絶で壮麗な発展を遂げたとも言える。なぜならば、それらの多くが海外輸出という未知なるステージに直面しつつ、その中の幾人かは、海の向こうの顧客を驚嘆させるほどの、まったく奇跡的なまでのハイレベルに昇華していったからだ。

時間があったら、ぜひネットなどで調べて、画像だけでも見て欲しいのだが、
七宝焼の”ふたりナミカワ”、並河靖之と濤川惣助。金工の正阿弥勝義、加納夏雄、海野勝眠ら。漆工・蒔絵の柴田是真、白山松哉、赤塚自得ら。自在置物の高瀬好山、明珍一派らなど、それぞれが想像を絶するほどの手間と研究の末でなければ決して生まれ得ないはずの、究極の完成度を持った工芸が一斉に開化し、欧米人を感嘆させ、まだ輸出品に乏しかった我が国に多額の外貨をもたらした。

よって、それら作品の多くは海外に流出しており総合的な研究がなかなか進んでいなかったが、近年になってその”超絶技巧”が注目され、ようやく展覧会なども開かれるようになってきた。それらの実作品の完成度を目の当たりにするとき、戦後日本の高度経済成長をも支えた”日本物づくり”の根源が、まさにここにあると感じられるのではないかと思う。

中でも、単体の展覧会が頻繁に開かれ常設展もあるほど、高い評価と人気を得ているのが宮川香山。真葛焼を考案した陶工であり、今年に入ってからだけでもすでに2回の展覧会(2月の三越ギャラリー、3月から4月上旬まではサントリー美術館)が開かれている。


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上の画像は、その今年の二つの展覧会のポスターである。
ともに代表作が掲載されているが、陶製の壺に単にフィギュアを載せた焼き物などという単純なものではない。

欧米で人気が高かった薩摩焼を超えるために案出されたとされる真葛焼は、金を厚く盛っていた薩摩焼の輸出は金の流出につながることから(金保有量の減少は当時の金本位制に在っては国益を損なうとされ)、金に代わって陶器表面を彫刻や細工によって盛り上げる独創的な浮き彫りの研究からはじまり、ついには緻密な造形とを組み合わせる「高浮彫」をその特徴としている。

マイセンのフィギュアなどはあらかじめ絵付けや焼成を想定して塑造と鋳型を組み合わせていくが、真葛焼は出来上がりの完成度を最優先とするため、製造過程にも合理性を優先するような妥協がまったくない。

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※褐釉高浮彫蟹花瓶(明治14年=1881年)。平成14年に近代の陶磁器としては日本初の重要文化財に指定された。
重なる2匹の蟹のリアリティーには息をのむ。

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例えば、造形物にも徹底的なリアリティーを追求しているため、造形物の素地と他の部分の素地とでは厚みが全然違う場合が多い。その場合、焼成の際の収縮率も微妙に異なるので、ゆがんだり、気泡が破裂したり、バランスが崩れたり、発色に失敗したりする。これらを克服するためには、実に難しい焼成技術が必要とされる。
もちろん焼成だけでなく、実に均整のとれた成型の技術、陶器表面の緻密な細工や彫りの技術、絵付けと発色の技術、そして本物と見まごうばかりの造形物の製作技術、作品のテーマ性や意匠など、宮川香山があみ出した様々な高度技術が、ひとつの焼きものに傾注されているのである。


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後年は陶器から磁器へと幅を広げ、青磁や釉下彩による名作も数多く残している。
わたしがこの焼き物に魅かれるのは、見た目の完成度とインパクトによるものも当然あるが、ここに日本人の真面目さ・器用さ・ストイックさ、オタクさ(研究熱心)、発想力、集中力、技術革新力、発明力など、かつて世界を席巻した”日本物づくり”の典型的な”こだわり”要素が詰まっていると思えるからかもしれない。
だが案の定、ここまでの独創性は継承にむかず、真葛焼は初代香山から三代で途絶える。


さて、当ブログが時計のブログであることはご存知の通りで(笑)、ここでランゲと真葛焼の面白い接点について触れておこう。


真葛焼だけでなく、こうした高級工芸品や先端技術の存在を、テレビもネットもないこの時代の人々はどのように周知・宣伝したか想像できるだろうか?

最も有効な手段は、万国博覧会への出品であり、そこで賞を獲ることであった。
当時の万博は、審査員が優秀と認めた出品作品に一等から三等までの順位を付けて表彰し、その証として金・銀・銅の杯やメダルを授与していたのだ(これが今のオリンピックのメダルに繋がった)。
万国博覧会の始まりは1851年のロンドン万博とされる。実はランゲ&ゾーネ(当時はA.ランゲ)とパテック・フィリップは、この第一回万国博覧会でともに金賞を受賞しているのだ。このロンドン万博に出展した竜頭巻き機構付きの薄型懐中時計をヴィクトリア女王に絶賛されたパテック・フィリップは、女王にペンダント・ウォッチを献上したことで一気に名をあげ、ヨーロッパの王侯貴族の間に流行していったのは有名な話。

この真葛焼も、世界から注目される契機となったのは、1876年(明治9年)のフィラデルフィア万博での銅賞の受賞であった。
同じくこの万博でランゲは金賞を受賞。つまり、真葛焼とランゲ懐中がこの万博期間、同じ空間に存在したわけで、以後四半世紀にわたって、ランゲと真葛焼は万国博覧会の常連として切磋琢磨していくのである。


以下、万博ごとのランゲと真葛焼の受賞歴をまとめてみた。


                 ランゲ        真葛焼

1878(明治11年) パリ      受賞なし        金賞 
1879(明治12年) シドニー     金賞         金賞
1880(明治13年) メルボルン   金・銅賞        金賞
1883(明治16年) アムステルダム  銀賞         銀賞
1888(明治21年) バルセロナ   受賞なし        銀賞
1889(明治22年) パリ      受賞なし        金賞
1893(明治26年) シカゴ     金・銀・銅賞      金賞 
(このシカゴ大会では、二代目宮川香山が渡米して表彰式に出席、本人自らががメダルを受け取った)

ここまでを見ると、ランゲよりも真葛焼のほうが、非常に安定した高い評価を欧米で獲得していたことがわかる。


さて、
こうして迎えたのが、1900(明治35)年のパリ万博である。

※下の画像は、パリ万博の遠景とエミール・ランゲ作の「100年トゥールビヨン」
 
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この年の万博からランゲ&ゾーネは出展側ではなく、賞を決める国際審査団の一員となり、名誉職としてアドルフ・ランゲの次男であるエミール・ランゲがその任を務め、自らは有名な100年トゥールビヨンを展示した。一方、このパリ大会で真葛焼は大賞を受賞し、一等金杯を二代目香山が受け取りに渡仏している。

つまりこの1900年万博では、エミール・ランゲが真葛焼を審査し(大賞に認定し)、その結果、
エミール・ランゲと宮川香山(二代)が、授賞式で同席したことはほぼ間違いないのである!  そんな情景を想像するだにマニアックに興奮するのだ!!(笑)



追記でもうひとつ、真葛焼とランゲの不可思議な因縁を。
第二次大戦中の1945年、まさにドイツが降伏したその同じ日の昼に(降伏文章調印が23時01分)、グラスヒュッテは連合軍の空襲を受けてランゲの時計工場も灰燼に帰したという皮肉な話は有名だが、真葛焼の工房があった横浜も、ランゲと同じく1945年5月に空襲を受けている。
グラスヒュッテ空襲から間もない5月27日の横浜大空襲である。
その際に工房と窯そして3代目香山の自宅も罹災し全焼、3代目とその家族・職人あわせて11名の尊い命が失われた。
疎開していて難を逃れた3代目の弟、智之助が、戦後に4代目宮川香山を名乗り窯の再興を試みるが、真葛焼の復興はついに叶わず、4代目の死をもって真葛焼と香山の名は途絶えたのである。
戦災と東独の支配を逃れたランゲ家の4代目ウォルター・ランゲが執念をもって復興に取り組み、ついにそれを成功するのとは対照的な結果だが、主要な職人とともに技術そのものを失ったのことは痛恨の極みであったろう。



日本とドイツの物づくりには共通点が多いとよく言われる。
これは私見だが、だいたい60~70%くらいは重なるが、まったく相容れない正反対の部分も確実に数%あったりもすると思う(笑)。
なので、ここで日本物づくりの一例として真葛焼を紹介したように、(いつになるとは言えないけれど)これから先の何回かで、ドイツ・ブランドを通して見る日本とドイツの物づくりについて、少し掘り下げてみたいと思っている。








なお、サントリー美術館での「没後100年・宮川香山」展は4月17日までやっており、写真撮影が可能なセクションなどもあるので、興味のある方はぜひ現物をご覧になっていただければと思う。



















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by A-LS | 2016-03-10 06:43 | 雑記