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a-ls 時計(Mechanical Watch Users News) blog.

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夏休み自由研究③


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『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』③



第2回では、ザクセン選帝侯アウグスト大王やフリードリッヒ・アウグスト強王らが収集した膨大な美術品や当時の最新機器がドレスデンにもたらされたことで、それらを目の当たりにしたドレスデン市民の学問的興味や探求心が増幅され、結果として、市民の文化度が高まり、自由にして科学的で誇り高いドレスデン気質を生む大きな要因となったことを書いた。

現代でも珍しい文物が公開されれば博物館に行列ができる。300年前の今よりも圧倒的に娯楽の少ない時代、機会さえ与えられれば、おそらく市民の殆どが、貴重な機器や珍しい文物を実際に目の当たりに見て、とてつもないインパクトを得たことであろう。宇宙展を見た子供が宇宙飛行士になる夢を見るように、ドレスデンの多くの若者たちにとって、科学技術や文化に関わる仕事は憧れの職業になったに違いない。
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※ドレスデンのツヴィンガー宮殿内にある「数学物理サロン」の入り口と収蔵品の一部。天体観測器や計測器など、現在でも見るだけでワクワクする機械が膨大に収められている。


しかし、王家や君主がなぜ時計や計測器を集め、そのコレクションに没頭するのだろうか。
もちろんこれはドレスデンだけの特別な傾向ではないし、ましてやドレスデン歴代の王がたまたま同一の趣味を持っていたからなどという偶然のレベルではなく、そこには、国家統治という王侯貴族の最重要目的に関連する理由があるのである。



古来、支配者にとって最も重要な専任事項のひとつが暦の作成であった。
時を司ること、暦を作ること、それこそが神もしくはその権威を現世で実行できる支配者(=王権)の証しであったのだう。
古代文明の多くが、春分、秋分や夏至、冬至の見極めることのできる建造物や仕組みを持っているのがその証拠である。
天文学的な知識をもって、春分や冬至の祭礼を執り行っていた形跡は世界中にみられる。
もしも何の知識も計測器もない状態であったとしたら、21世紀に生きる自分でさえ、一年が365日で昼夜の長さが等しい日があるなどという発見ができるとは全く思わないが、古代人は驚くべき集中力と観察眼を持って、それを発見したのだ。

古代から近代まで人類の夜は闇の中にあった。唯一の光りは月と星。娯楽のないその時代に、天空を飽きずに眺めることは意外に普通な夜の過ごし方だったようだ。
その時代の人々にとって、夜空はいわば映画やTVみたいなものだったとも言える。
月の位置や満ち欠けの観察は氷河期の狩猟社会に始まるという。有名なストーンヘンジ(夏至の日の出が遺跡の中央から昇るように作られている)も紀元前3000年頃だし、農耕文明においては、種まきや収穫の時期を知るためにも暦は不可欠のものとなった。そしてその収穫は税や富に直結するため、支配者にとって暦は独占すべき重要なものであり、支配権と暦とは切り離せないものだったのだ。
もし仮に、その天文的知識が、日食や月食を予言できる域にまで至っていれば、間違いなくその者は古代では神とあがめられただろう。
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※ストーンヘンジ。屹立する石組には天文観測の成果が組み込まれているという。


時計も同様だ。中国の北宋に世界初の脱進機つき時計台である水運儀象台が建設されたのは1088年のこと、水運儀象台は国立の時計台であると同時に天体観測天文台でもあった。また暦と並んで機密度が高いのが地図であった。これは田畑の面積から税収の計算の根拠になると同時に、地の利を得なければならない戦争での優劣・勝敗にも直結する。

皇帝や王と呼ばれた支配者が、暦や天文や測量に直結する計測器を好んで集めたのは、まさにそのためなのである。

同時に、戦争で欠かせないのも科学である。
兵器としての大砲が進化すれば正確な距離計や角度測量器具が、船舶や航海術が進化すれば羅針盤や正確な時計が最高機密機器となるのである。

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※数学物理サロンには地球儀だけを集めた展示室まである。右下は大砲の角度と砲弾の着弾距離の関係を研修したもの。


アウグスト強王が愛し集めたとされる、“新しいもの”、“正確なもの”、それが収集されたのはすなわち、自分の権威を高め維持するために必要不可欠な文物だったからに他ならないのだ。

1733年にこの世を去ったアウグスト強王がドレスデンに残したものは多い。強王の語源のひとつとも言われる365人から382人と言われる遺児も凄いが(!)、ツヴィンガー宮殿やアウグスト橋といった建築物、エルベ川沿いに整備された散策路を含む美しい公園の光景、それらは誰の目にも一目瞭然なほど大きな遺物だが、王の遺した最も大事な遺物こそ、ドレスデンを学問都市へと導いたことで生まれた市民の精神性ではないだろうか。

物事を科学的な視点で研究し、さらに一般にも惜しみなく伝える姿勢、それによって育まれていく郷土の繁栄に対する自信と愛情――そこにはアドルフ・ランゲへと連なるもののふたつ目、「新しい知識や技術は生活を豊かにするという信念」が生まれたことを指摘しておきたい。










(以下次原稿)






















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by A-LS | 2015-08-22 20:13 | ランゲ&ゾーネ