a-ls 時計(Mechanical Watch Users News) blog.

alszanmai.exblog.jp

<   2015年 08月 ( 24 )   > この月の画像一覧

夏休みの休日

あー、楽しかった~!!


b0159560_09343389.jpg


夏休み最後の休日、かねてから予定していた”オフ会”を開催。
ご参加いただいたみなさんと、とても楽しい"時間"と素敵な"時計"を共有した!

やはりランゲ率が高かったのだが、その中で、2個のバージ式懐中を含む懐中時計が3個も集まったのが、
とても"ウチのブログ"のオフ会らしいな、と(笑)。






詳細は後日に(書くかも)・・・(笑)。










als_uhruhrをフォローしましょう




[PR]
by A-LS | 2015-08-31 09:53 | GTG | Trackback | Comments(8)

新工場落成式~数字いろいろ

前稿では、ランゲ&ゾーネ新工場落成式の画像いろいろをお届けしたが、
もう少しこのネタにお付き合いいただきたい(笑)。




b0159560_12543349.jpg
上の画像の左端の建物が新工場で、内部は下のような造りに。
b0159560_12504266.jpg
今回はその新工場にまつわる数字のいろいろを。


5400 平方メートル=新工場の総スペース
 

253 面=入射光を取り込む大きなウォッチメーカー・アトリエの窓数


92 段=中央フォーラムの螺旋階段数


69 柱=工場の駆体を支えるために敷設されたコンクリート柱数。


55 機=地下125メートルまで埋設された地熱発電機


13.5 メートル=道を挟んで建つ、新工場と旧工場とを結ぶスカイブリッジの長さ。


b0159560_13152338.jpg
新工房の内部。時計師の作業には自然光が一番大事なので、南に向いた大きな窓が必要で、これが253面もあるのだ!



最後に、新工場のゲストブック。第一号は・・・・


b0159560_14290208.jpg

やっぱ、

メルケルさんでした!!


















als_uhruhrをフォローしましょう




[PR]
by A-LS | 2015-08-29 13:20 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(3)

新工場落成式~画像いろいろ

おめでとうございます。
一夜明けまして、いろいろな画像が。



b0159560_07270543.jpg

(画像下段)テープカット。左からウォルタ・ランゲ、メルケル独首相、ザクセン自由州首相スタニスラフ・ティリッヒ、ヴィルヘルム・シュミットCEO。
(左上)ウォルターお爺様がシュミットCEOから花束を受け取るところ。 ※背後にリシュモン・グループ会長ヨハン・ルパート氏が…
(右上)式典の招待状ね。 ※わたしには来なかったが…




b0159560_07334372.jpg
(上段)3枚ともに新工場内部。
(中央)テープカット、遅れるCEO。
(下段)左から、有名なドレスデン聖十字架合唱団(ドレスデナー・クロイツ合唱団)が式典に華を添える。リシュモン・グループのヨハン・ルパート会長とシュミットCEO。社員の皆さん。





b0159560_07374147.jpg
新工場はザクセン最大の地熱発電施設となっており、CO2排出がほぼゼロ。規制の厳しいドイツならではだ。



最後にメルケルさん、頑張ってくれてるの図。

b0159560_07411291.jpg

(上段)メディアを前にスピーチ
(下段)親しく声をかける首相。ウォッチメーカーコートを羽織る首相、背後の説明員はちょっと引きつり気味(笑)の、ティノ・ボーベ新工場責任者。








ところで、メルケル首相の時計は、どこのなんだろうね?(笑)










als_uhruhrをフォローしましょう









[PR]
by A-LS | 2015-08-28 13:30 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(0)

夏休み自由研究④



第①回はコチラ

第②回はコチラ

第③回はコチラ


『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』④~いちおう最終回!!





前稿の主役であったアウグスト強王が亡くなった(1733年)頃からの約100年は、ドレスデン史というよりも時計史に注目しなければならない。
なぜならばこの100年の間に、王や貴族など支配階級のものだった”時計”および”時間”という概念が市民生活の必需品となるという大変革が起こるからである。


そのストーリーの重要な担い手のひとりが、スイス北西部のフランス国境に近いヌーシャテルに誕生する。1747年のことだ。
その人物こそ、今後200年はかかると思われた時計の進化を、まるで未来から来たタイムトラベラーのごとく、わずか50年足らずのうちに成し遂げてしまうアブラアム=ルイ・ブレゲその人である。
b0159560_22462652.jpg
※アブラアム=ルイ・ブレゲ(1747年1月10日 - 1823年9月17日)


大航海時代の到来により、ヨーロッパ人にとっての新世界が次々“発見”されていた時代を経て、18世紀半ばから19世紀は産業革命・動力革命により商いが商業へと規模を変え、ヨーロッパ自体が“近代”へと脱皮した時代だった。人力や馬車で運搬されていた商品が、鉄道や蒸気船の登場により、より多くより早く移動されるようになると、人々は今まで感じもしなかった時間という概念の大事さに気づき、正しく正確な時間を求め始めた。
第3回で述べたような、支配者が独占してきた時の概念が、市民の共有物となり、むしろ逆に時刻を告知することが支配者の業務となったのである。

時の概念というものが大きな転換を迎えた時代において、ブレゲは最高の仕事を残した時計師だった。ブレゲの一族は、フランスの宗教戦争の際スイスに移住したフランス人プロテスタントだった。(なぜプロテスタントが時計産業に親しむのかは第一回を参照されたい)。彼が発明したとされるものを列挙するだけでもすごいことになる。
「永久カレンダー」、「ミニッツリピーター」、「トゥールビヨン機構」はつとに有名だが、現在も使われる「ブレゲヒゲもしくはブレゲ・カーブ(時計の精度を著しく高めたヒゲゼンマイ)」、「ブレゲ数字(独特のインデックスの書体)」、「ブレゲ針(穴空き針)」、「ギョーシェ彫(文字盤の装飾)」といったものや、「耐振動装置」を時計に組み込む概念も彼が初であり、逆に振動を活かした「自動巻き」の機構を大きく進歩させたことでも知られる。


正確な時を告げることが支配者の証しとなったのは、ヨーロッパ随一の文化都市ドレスデンにおいても例外ではなかった。

1776年、ドレスデン宮廷の「調査官」に任命された天文学者ヨハン・ゴットフリート・ケーラー(1745~1800)は、ツヴィンガー宮殿内にある芸術品蒐集室「グリューネス・ゲヴェルベ(=緑の丸天井)」および「数学物理サロン」の責任者として、王室の時計コレクションの管理を司ることになる。
もともとはケーラー自身の天文観測のためだったのだが、ケーラーはまず正しい時刻を知る必要に駆られ、レギュレーター式の振り子時計を自作、そしてその時計を基本として、1783年からドレスデンで初めての標準時計業務を創設する。
そしてそれ以後、電波信号による時報送信が始まる1920年代まで、約150年間にわたって王宮はドレスデンの公式現地時間を発表し続ける。この標準時計業務のため王宮時計師が任命され、王宮内の時計塔に暮らすようになるのである。



b0159560_23163112.jpg
※ケーラーの振り子時計(左)とドレスデン王宮(右)、中央に時計が見えるのが王宮時計師が居住した時計塔


標準時計業務とは、『毎日正午にドレスデンの公式時間を特定し、契約した市内各地の時計に伝達するという仕組みで、契約料金を支払えば標準時計業務の担当者が定期的に訪問して、時計の時間を合わせてもらうことができた』(ランゲ&ゾーネのHPから引用)。
これは、振り子時計を使った正確な標準時計業務のかなり早い実例で、有名なロンドンのグリニッジ天文台の時報球の設置(1833年)よりも50年ほど早いことを考えると、たとえ独自の計測とはいえ、ケーラーの標準時計業務の偉大さが理解できると思う。


余談だが、この正確なドレスデン公式時刻に合わせたクロノメーター(時計)を持って担当者が行き来することで時報が送られたという、この業務に使われた時計(1分間クロノグラフ懐中時計「クロノスコープ」)とその業務そのものをオマージュしたのが、2010年のSIHHでA.ランゲ&ゾーネが発表した「リヒャルトランゲ・レフェレンツウーア」という限定時計である。
b0159560_10582112.jpg
※リヒャルトランゲ・レフェレンツウーア



1801年にケーラーの後継者として数学物理学サロンの主任時計師に任ぜられたのが、リヒャルト・ランゲ・プール・ル・メリット・トゥールビヨンの原型となった三重円のレギュレーター懐中の製作で知られるヨハン・ハインリッヒ・ザイフェルト(1751~1817)である。彼は時計製作に秀でていたため、標準時を測る基準時計もザイフェルト製が採用された。
ザイフェルトの後任がシュミット、以下、宮廷時計師の系譜はウィルヘルム・ゴットヘルフ・ロアマン(1796~1840)、ヨハン・フリードリッヒ・シューマン(1759?~1817)、ヨハン・クリスチャン・フリードリッヒ・グートケス(1785~1845)へ連綿と引き継がれていく。 

この間の出来事については、「ドイツ腕時計No.2」に特別寄稿されたツィーマー宮田侑季さんの「独自に時刻決定業務を行っていた数学物理サロン」という記事が大変に詳しいので、ご興味をお持ちの方は是非そちらを参照されて欲しい。



標準時計業務とその精度を高めることに挑み続けたこの100年には、アドルフ・ランゲへと連なるものの三つ目、
「正確にして精密であることを美徳と感じ、技術を持つ職人を芸術家と同等に尊重する姿勢」が育まれたことを指摘しておきたい。




さて、この頃のザクセンはというと…、
1796年にナポレオンに敗れ、さらに1813年にはナポレオンの仏帝国軍とともにライン同盟軍の一翼としてヨーロッパ連合軍と戦い(ライプツィヒの戦い)、またも敗戦。結局、このナポレオン戦争を通じて人口の約半数を失ったのである。
人口だけでなく、1815年の講話(パリ条約)でプロイセン王国に領土の5分の3を割譲、連邦内での主導権もほぼ失った。
そのうえ、解除された大陸封鎖令によって、機械化されたイギリス製品が大量に欧州に流入し、結果、ザクセンの毛織物業は壊滅的なダメージを受け、王国の経済状況は急激に悪化していくのである。
人口、国土、基幹産業、国力、その多くを失ったザクセン王国であるが、この最大の国難を前に、国は貸付金によって企業を支援し、実業家は愛国心を奮起し、技術者・職人は発明精神を発揮して、国の復興を目指す努力が始まろうとしていた。
このようにザクセンが敗戦と復興の狭間にあった、まさに1815年、アドルフ・ランゲ(1815-1875)は王都ドレスデンに生を受けるのである。


ここまで述べてきた、アドルフ・ランゲへ連なるドレスデンの精神性をもう一度整理してみたい。

①「信仰を実用性とを結びつけた合理的視点と革新的行動力」
②「発明(解明・証明)する新しい知識や技術が、生活を豊かにするという信念」
③「正確にして精密であることを美徳と感じ、その技術を提供する職人を芸術家と同等に尊重する姿勢」


まさに”物づくり”に適した環境がそこにはあり、その顕著な完成例のひとつがアドルフ・ランゲという傑出した人物の存在によって、クラスヒュッテという町に集約されていくのである。

うえの3つをまとめると、それはまさに時計製作の根幹とシンクロするかのように胸に響いてくる気がする。

『新たな知識や技術を重視し、新しい発想にも寛容で、工夫と探求の精神に富んでいること。科学者や職人を芸術家と同等に貴ぶ気風に溢れているため、道具であっても美しいもの、つまり美しさと実用性を兼ね備え、長持ちする製品を美徳とする精神が、ごく当たり前にそのバックグラウンドに蓄えられている』


いかがだろうか?


というわけで、ここまでアドルフ・ランゲ以前の300年を、”物づくり”や”精神性”という面をフィーチャーして、駆け足でみてきたわけだが、
これ以降の1815年以降の物語、つまりアドルフ・ランゲの生涯については、


8月31日発売の「ドイツ腕時計」に続く!!・・・・・のである。

もともとはその本のために「アドルフ・ランゲ500年史」という企画で書き始めたものの、予定の5倍くらいの文字数となってしまったため(笑)、
前半の300年分を割愛し、それを「夏休みの自由研究」として拙ブログに転載したのがこれなのだが、では、残りの200年が「ドイツ腕時計」に掲載できたのかというとそうでもなくて(笑)、結局「ドイツ腕時計」にはアドルフ・ランゲの60年人生が精一杯だった・・・。

ということは、500年ー(300年+60年)=140年分くらいが書けていないわけである(笑)。

リヒャルトとエミールの時代はもちろんの事、ルドルフやオットーの時代、ランゲ家の女性たち、ナチスとランゲ、若きウォルターとDUB、そして復興…などなどである。実はアドルフ・ランゲについても、まだ書き切れていない部分があったことも否めないので、(いつになるかはわかりませんが)、何らかの機会にまとめたいと思う次第である。





※あ~、でもなぁ、夏の自由研究になると、アクセス数が大人しくなり、直帰率が高まるので、もうブログではやらないかも(笑)。













【付録】
夏休み自由研究の最後、余談ついでに、
ドレスデンの発明精神を裏付ける“ドレスデン発祥の発明品”について、以下、付録的・箇条書き的にまとめておこう。

第一回~四回までの本稿中でも、

●ヨーロッパ磁器(マイセン。アウグスト強王の強い要請と監禁のもとで、錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベトカーがヨーロッパで最初の白磁と同時に世界初の硬質磁器を発明)。
●時刻決定業務(振り子時計を使った正確な標準時計業務) などを紹介してきたが、


それ以外にも、
●世界最初の乗用ケーブルカー:
1898~1901年にかけて、ケルナー広場から展望台まで、長さ247 メートル、高低差84 メートルのケーブルカーが敷設された。

●世界初のうがい薬:
1893年ドレスデンの工業家カール・アウグスト・リングナーが「オドール」を開発。そのハーブの薫りは“ドレスデンの香り”としては世界的なヒット商品となる。

●世界初の歯磨きチューブ:
それまでは粉だったが、1907年、ドレスデン旧市街のライオン薬局のフォン・マイエンブルク博士が練り歯磨きを開発。

●チューブ入りの靴クリーム:
チューブつながりだが、これもドレスデンのエクベルト・グュンターが創立したEg-Gu商会が1919年に開発し発売したもの。

●ロールフィルムを用いた近代的一眼レフカメラ:
これもドレスデンからの発明。1936年、「キネークスアクトラ」がライプツィッヒの定期市で発表されている。

最後に、変わった発明では、1895 年9 月5 日、クリスティーネ・ハート嬢がバストの形を保つ胸当ての初のドイツ特許をドレスデンで申請。これを世界初のブラジャーとする説もある(笑)。これに関しては諸説ある。

また、ラーデベルガーのピルス・ビールなど食品関係でもドレスデン発祥は多い。
有名なところではバームクーヘンだろう。諸説あるものの、1807年ザクセン近郊のザルツヴェーデルで最初のバウムクーヘンが焼かれたという記録が残っている。

その他にも、

●コンデンスミルク:
それまではサワーミルクが主流だったが油脂が溶けきらない欠点があったため、酪農家プフゥント兄弟が1886 年に発明しました。1900 年には低温殺菌法も開発。

●コーヒーフィルター:
1908年、当時35 歳だったドレスデンの主婦メリタ・ベンツはコーヒーフィルターを発明し特許を取る。今日にも続く「メリタ」の創業である。

●ビール・グラス敷(吸水性コースター):
1892年ドレスデンのルドルフ・シュプートが特許取得。


また、発明品ではないが、古いところでは、シュトリーツェル・マルクトと呼ばれるドレスデンのクリスマス市がヨーロッパのクリスマスマーケットの始まりとされている(1434 年の発祥)。
ちなみにこの名称は毎年第二降臨節の日にナイフを入れるクリスマスの代表的なシュトーレンという菓子(シュトレン・ドレスデン・クリストシュトーレンと呼ばれる)にちなむもので、この日にエルツ山脈地方の町々で作られた木製玩具のような手作り工芸品、陶器、特産食品など様々な品がマーケットに並べられたことから興ったとされている。



































als_uhruhrをフォローしましょう











[PR]
by A-LS | 2015-08-28 01:03 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(6)

お爺ちゃん with メルケルさん


新工場落成式典の
第一報がピューリストのランゲ・フォーラムに出ましたね!



b0159560_14505303.jpg


おめでとう!

出席したかったなぁ~~


































[PR]
by A-LS | 2015-08-27 14:51 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(0)

ランゲ&ゾーネ~新工場落成

現地時間8月25日、ランゲ&ゾーネの新工場の落成記念式典が催された。

そろそろ、その模様に関する第一報が入ってきてもいい頃なのだが、なんでも、あのメルケル首相まで式典に参列したとのこと!


とりあえず、youtubeにUPされた、新工場ができるまでの動画(ちょっとありがちな編集ですが・・・)をご紹介しとこう。




Three years in 81 seconds:
Follow the construction process of our new 5400-square-metre production area in this time lapse video – from the ground-breaking ceremony in September 2012, over the installation of the large-format atelier windows until the completion of the virtually dust-free workstations for our watchmakers and part production:(Face bookより)












メルケルさんとウォルターお爺ちゃんの2ショットとか、みたいなあ~!









als_uhruhrをフォローしましょう



[PR]
by A-LS | 2015-08-26 17:50 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(2)

三越WWF③~”裏”の世界

三越WWF、その三回目は、題して”裏の世界”。

といっても、暗躍する時計マフィアとか、そんな危ない話ではなく、


つまりはこういうこと!


b0159560_12461905.jpg

おおーっ。

モンブランブースにお邪魔して、普段はそんなに好き勝手に見ることができないミネルヴァ・ムーブを堪能させていただいた!!

b0159560_12545545.jpg
ランゲに限らず、時計への愛情をその裏側に求める方々は多いが、その視点から言うとこちらのモンブランのミネルヴァ・シリーズはまさに極上である。
このムーブ裏を堪能している最中に、モンブラン・ブースをたまたま通りかかった御友人に声をかけて、このムーブをキズミで見てもらったところ、
それまでミネルヴァをあまりご存知なかった方は、皆一様に感嘆の声をあげていた。
そんなこんなで、ブース廻りにお友達が続々集まってしまったため、一時撤収しようとしていると・・・・



もの凄いモノを腕にされている御友人に出会ってしまった!!
こういうモデルを入手できる方、これもある意味、ウォッチ・インダストリーの”裏の顔”である!!(笑)



では、テーマに添って、まずは裏画像から。

驚かないでね!!





b0159560_13005724.jpg



バックルも!!



b0159560_13012768.jpg






そして表顔!!!

b0159560_13025683.jpg
バゲットダイヤの角度がものすごく計算されているようで、スケルトンの華やかさとぶつからないようになっている気がする!
さすがメティエ・ダール!!!!


b0159560_13025948.jpg


以上、三越WWFレポ、
お付き合いいただき、ありがとうございました。




















als_uhruhrをフォローしましょう







[PR]
by A-LS | 2015-08-25 13:08 | 時計いろいろ | Trackback | Comments(4)

三越WWF②

三越ワールド・ウォッチ・フェアその②です。



今回の大きなミッションは、この御方の時計の実機を見ることと、お話しを伺うことだった!

独立時計師アカデミー・メンバー、カリ・ヴティライネン氏である!!

かつて拙ブログでも、氏の「Sarasamon(=更紗紋)」で雲竜庵の北村辰夫氏とのコラボレーションを紹介しているが、

昨年来いろいろな海外時計サイトで紹介されていた「HISUI(=翡翠)」の実機が見られるということで、勇んでお伺いしてきたのだ。

b0159560_11212037.jpg
美しい! 素晴らしい!!

この「HISUI」の文字盤も雲竜庵とのコラボレーションによるもので、何層にも重ねられた漆にインデックスは干支足で固定されているという。
またこの「HISUI」は裏の香箱の意匠まで凄いことになっているのだ。

本来はこの時計に積まれている特別な脱進器についてなど、もっといろいろ尋ねるべきことがあったハズなのに、時計を拝見して美しさに息をのんでいるうちに、すべて飛んでしまった・・・・・・。

あと、同時に展示されていたMaîtres du Tempsの第3章「ミッドナイトブルー」も、ヴティライネン氏と同じく独立時計師アンドレアス・シュトレーラー氏との共作によるものなので、こちらも拝見させていただいた。



b0159560_12152782.jpg

上下の画像の違いが判るだろうか、リューズを押すと、12時と6時の窓が開き、12時にはデイ&ナイト表示、6時にはセカンドタイムゾーン表示が現れる、つまりこの時計はデュアルタイム・ウォッチなのだ。さらにすごいことに、窓内の表示はディスクではなくローリング・バーなのである!!
しかもこの窓の開閉が実にスムーズで、通常時は境目がほとんどわからないくらい精緻に組み上げられている。これも凄い作品だ。


AHCIの独立時計師アカデミーと言えば、このフェアでは菊野昌宏氏の和時計も展示されていた。

「はじめてプライス・タグ付きで展示されました」と笑顔で語る菊野氏。船箪笥風味のスタンドも”和”でナイス・センスだった!

b0159560_12294884.jpg
ヴティライネン氏の雲竜庵とのコラボレーションや、こちらの「和時計」、その他にも写真は撮れなかったが「TASAKI」や「ミナセ」など、世界に発信可能な日本のタイムピースや技術が、以前にも増して今回は多く目についた (あ、もちろんSEIKOさんやシチズンさんは別格としてだけど・・・)。でも、時計といえばもっぱら輸入メインが常識だった事態が、少しずつ変わってくるかもしれない予感を得た!









あと、もう一回三越ネタで書かせて。





















als_uhruhrをフォローしましょう




[PR]
by A-LS | 2015-08-24 12:44 | 時計いろいろ | Trackback | Comments(2)

三越WWF①

b0159560_01071450.jpg
三越ワールドウォッチフェア、今年の”顔”はこの黒文字盤のようだ。

まずは、お約束の(笑)、我が陣営ブースへ。

今年は目立った大きなパネル展示はなく、ショウケースとお客さん用のスペースを広めにとっていたのが印象的だった。
今年の新作に関して言うと、ツァイトヴェルク・ミニッツ・リピーターを除けば、新生ランゲ1をはじめとして完璧に勢揃いしており、旧作も含め、いろいろな実機を手にすることが可能になっている。


b0159560_01225547.jpg


一方で数少ないパネル展示として、F.A.ランゲ生誕200周年関連テーマから、あの有名な「旅の記録」のレプリカの展示とそれにまつわるストーリー、そしてグラスヒュッテに工房を設立した後に職人たちが自作したスライディングゲージが展示されていた。

b0159560_01414063.jpg
実は最近、このアドルフ・ランゲについて自分の知るところをかなり詳細に文章にまとめていたので、すごい親近感を感じた(笑)。
(でも、書きすぎてしまってボツとなったアドルフ誕生以前の300年が、いま『夏の自由研究』として拙ブログにてまとめ中なわけでして・・・。)

で、肝心のアドルフ本文は、今月末発売の「ドイツ時計本」に掲載されますが、それでも書きすぎて(笑)、本来の構想からすると70%くらいか・・・。
それを読んでいただければ、「旅の記録」に込められた、師であり義父であるグートケスとの約束や、なぜにスライディングゲージ(展示パネルでは”十分の一ゲージ”と表記)などの計測器を自作しなければならなかったのかなどが、より理解していただけると思います。と、ちょっと宣伝(笑)。


b0159560_02014148.jpg

この日は、いろいろ密度の濃ぉぉぉぉぉ~い”時計三昧”をしたので、
その辺のことは、明日以降にもう一度まとめます!!



今日のところはおやすみなさい。。。。。













【追記】
※武珍さんからのご教授を得て、以下の表記を直しました。
X コンパスゲージ → 〇 スライディングゲージ
お詫びのうえ訂正いたします。
武珍さん、ありがとうございました!
















als_uhruhrをフォローしましょう







[PR]
by A-LS | 2015-08-24 02:09 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(2)

夏休み自由研究③


第①会はコチラ

第②回はコチラ


『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』③



第2回では、ザクセン選帝侯アウグスト大王やフリードリッヒ・アウグスト強王らが収集した膨大な美術品や当時の最新機器がドレスデンにもたらされたことで、それらを目の当たりにしたドレスデン市民の学問的興味や探求心が増幅され、結果として、市民の文化度が高まり、自由にして科学的で誇り高いドレスデン気質を生む大きな要因となったことを書いた。

現代でも珍しい文物が公開されれば博物館に行列ができる。300年前の今よりも圧倒的に娯楽の少ない時代、機会さえ与えられれば、おそらく市民の殆どが、貴重な機器や珍しい文物を実際に目の当たりに見て、とてつもないインパクトを得たことであろう。宇宙展を見た子供が宇宙飛行士になる夢を見るように、ドレスデンの多くの若者たちにとって、科学技術や文化に関わる仕事は憧れの職業になったに違いない。
b0159560_19414754.jpg
※ドレスデンのツヴィンガー宮殿内にある「数学物理サロン」の入り口と収蔵品の一部。天体観測器や計測器など、現在でも見るだけでワクワクする機械が膨大に収められている。


しかし、王家や君主がなぜ時計や計測器を集め、そのコレクションに没頭するのだろうか。
もちろんこれはドレスデンだけの特別な傾向ではないし、ましてやドレスデン歴代の王がたまたま同一の趣味を持っていたからなどという偶然のレベルではなく、そこには、国家統治という王侯貴族の最重要目的に関連する理由があるのである。



古来、支配者にとって最も重要な専任事項のひとつが暦の作成であった。
時を司ること、暦を作ること、それこそが神もしくはその権威を現世で実行できる支配者(=王権)の証しであったのだう。
古代文明の多くが、春分、秋分や夏至、冬至の見極めることのできる建造物や仕組みを持っているのがその証拠である。
天文学的な知識をもって、春分や冬至の祭礼を執り行っていた形跡は世界中にみられる。
もしも何の知識も計測器もない状態であったとしたら、21世紀に生きる自分でさえ、一年が365日で昼夜の長さが等しい日があるなどという発見ができるとは全く思わないが、古代人は驚くべき集中力と観察眼を持って、それを発見したのだ。

古代から近代まで人類の夜は闇の中にあった。唯一の光りは月と星。娯楽のないその時代に、天空を飽きずに眺めることは意外に普通な夜の過ごし方だったようだ。
その時代の人々にとって、夜空はいわば映画やTVみたいなものだったとも言える。
月の位置や満ち欠けの観察は氷河期の狩猟社会に始まるという。有名なストーンヘンジ(夏至の日の出が遺跡の中央から昇るように作られている)も紀元前3000年頃だし、農耕文明においては、種まきや収穫の時期を知るためにも暦は不可欠のものとなった。そしてその収穫は税や富に直結するため、支配者にとって暦は独占すべき重要なものであり、支配権と暦とは切り離せないものだったのだ。
もし仮に、その天文的知識が、日食や月食を予言できる域にまで至っていれば、間違いなくその者は古代では神とあがめられただろう。
b0159560_19520581.jpg
※ストーンヘンジ。屹立する石組には天文観測の成果が組み込まれているという。


時計も同様だ。中国の北宋に世界初の脱進機つき時計台である水運儀象台が建設されたのは1088年のこと、水運儀象台は国立の時計台であると同時に天体観測天文台でもあった。また暦と並んで機密度が高いのが地図であった。これは田畑の面積から税収の計算の根拠になると同時に、地の利を得なければならない戦争での優劣・勝敗にも直結する。

皇帝や王と呼ばれた支配者が、暦や天文や測量に直結する計測器を好んで集めたのは、まさにそのためなのである。

同時に、戦争で欠かせないのも科学である。
兵器としての大砲が進化すれば正確な距離計や角度測量器具が、船舶や航海術が進化すれば羅針盤や正確な時計が最高機密機器となるのである。

b0159560_20090047.jpg
※数学物理サロンには地球儀だけを集めた展示室まである。右下は大砲の角度と砲弾の着弾距離の関係を研修したもの。


アウグスト強王が愛し集めたとされる、“新しいもの”、“正確なもの”、それが収集されたのはすなわち、自分の権威を高め維持するために必要不可欠な文物だったからに他ならないのだ。

1733年にこの世を去ったアウグスト強王がドレスデンに残したものは多い。強王の語源のひとつとも言われる365人から382人と言われる遺児も凄いが(!)、ツヴィンガー宮殿やアウグスト橋といった建築物、エルベ川沿いに整備された散策路を含む美しい公園の光景、それらは誰の目にも一目瞭然なほど大きな遺物だが、王の遺した最も大事な遺物こそ、ドレスデンを学問都市へと導いたことで生まれた市民の精神性ではないだろうか。

物事を科学的な視点で研究し、さらに一般にも惜しみなく伝える姿勢、それによって育まれていく郷土の繁栄に対する自信と愛情――そこにはアドルフ・ランゲへと連なるもののふたつ目、「新しい知識や技術は生活を豊かにするという信念」が生まれたことを指摘しておきたい。










(以下次原稿)






















als_uhruhrをフォローしましょう




[PR]
by A-LS | 2015-08-22 20:13 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(0)