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ドイツ・物づくり①~ ライカ


BS日テレの「ブランドヒストリー」という番組を観た。
観たといっても、5年前に録画したものだ。5年前と言えば、東日本大震災による原発の問題に心を砕いていたこともあり、録っぱなしで放置した番組がHDDの中にけっこう眠っていたりするのを、最近少し整理している。
文字通り、歴史あるブランドを取り上げる番組だが、録画してあったのはドイツを代表する光学機器ブランド、「Leica」の回だ。


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なかなか良い番組だったが(2012年3月に放送終了)、37回の放送中でドイツ・ブランドは「ファーバーカステル」「ツヴィリング J.A. ヘンケルス」「メルセデス・ベンツ」、そしてこの「ライカ」の4社のみだった。ちなみに第1回はスイスのパテック・フィリップ。ま、さすが…である。

以前、「日本の物づくり~真葛焼・宮川香山とランゲ 」というテーマを書いたときに、次は「ドイツ物づくり」というテーマで日本とドイツの物づくりを比較してみたいと思っていたのだが、この番組を観ているうちに、なにかもっと根源的なものに心を揺さぶられた気がしたのである。

良いものを生み出し、またそれを究極にまで極める。その良さや素晴らしさは人づてに広まり、結果としてそれは売れる。この自然な循環を作るため、職人は精を尽くし魂を込めて製品(作品)を作ってきた。たぶんわたしは、そしておそらく多くの機械式時計の愛好家も、その伝統を今に受け継ぐ”作品”が好きなのだ。
ところが情報が溢れる現代の社会は、17~19世紀とはまったく転倒したプロセスによる物づくりを可能にしてしまった。すなわち、売ることや利益を得る計画のうえで製品(商品)が生まれ、宣伝や販路によって売る環境が整えられ、最終段階としてそこに製品(商品)が投入されている感が多分にある。ランゲとてその例外とは言えない。

アドルフ・ランゲとリヒャルト・ランゲの時代にグラスヒュッテに起こったことと、1914年以降にオスカー・バルナックがウェッツラー興したこと、その根源にある職人的熱情は非常に似ている。”まだこの世には存在していないが、絶対に人々に受け入れられると信ずる物を創り、しかもそこに可能な限り美しい機能美を持たせて存在させる”という、おそらく、ドイツ物づくりの根幹はその辺にある気がする。

ランゲもそうだが、工房で働く方々は実に素朴で、実に純粋に物づくりに情熱を注いでいる。
ある段階までは、その物づくりがすべての心臓部分なのだが、ある段階から、別のシステムがその心臓部を制御し始める。
物づくりを純粋に楽しみたいと願い、そこに直につなりがりたいと思っても、物づくりとわたしたちのとの間に、いくつものフィルターが入ってくるのは、もはや仕方ないことなのだろうか・・・、てなことを、5年前の番組を観て思った次第(笑)。


とりあえず、簡単に番組の内容を紹介しよう。

番組はフランスのブルゴーニュ地方のはずれ、人口4万6千人ほどの小さな町シャロン・シルソールから始まる。
なぜなら、1826年に世界で初めて写真を撮った発明家ジョセフ・N・ニエプス(1765~1833)の、その記念すべき最初の写真「ル・グラの自宅窓からの眺め」で写された光景が、この町にあるからだ。

そしてカメラの歴史を語る上で、近代カメラの祖であるこのニエプスのカメラと同じくらい、つまりファースト・ワンと同等なほど画期的で重要な発明が、ライカの名機「ウル・ライカ」だと言われている。

どこがそれほど画期的だったというと、それまでのカメラは大きくて重たいのが普通で、被写体はカメラの前に立ち、撮影技師が暗幕をかぶって撮影していた。このカメラ位置の画角では被写体が真正面となることがほとんどだった、
それに対し「ウル・ライカ」は、軽くて自由に持ち運びできる現在のカメラの元祖であり、これによってどんな場所でも誰にでも撮影できるようになり、まさに写真の在り方を変えたといわれる歴史的な発明なのである。

番組ではそのことをこう評していた。
「突然目の前に現れる決定的瞬間、それは持ち運ぶだけで一苦労の大きなカメラで押さえることは不可能。しかし、ライカがその不可能を小型軽量化により可能にしたのです。そう、ライカは、写真の歴史を、そして写真という概念そのものを、大きく変えたブランド。これこそが、トップブランドに君臨する理由だったのです。」

以下、『人と写真との関係を変えたライカをめぐる物語』が語られていく。

フランクフルトから北へ車で一時間、18世紀から望遠鏡のレンズ作成など光学機器の工房が集まり、品質的にも世界のトップに立っていたレンズの町、ウェッツラーで、ライカは産声をあげた。ちなみにここは、ドイツを代表する作家であり哲学者、ゲーテが青春時代を過ごした町でもある。

1911年のドイツ。
顕微鏡や双眼鏡の製作で有名だったこの町の大手光学機器メーカー、エルンスト・ライツ社に、光学技師オスカー・バルナックが転職してきた。
体の小さかったバルナックは、当時のカメラが乾板式フィルムを使った大きな箱型で三脚も必須な重たいものだったため、軽くて持ち運びに便利な小さいカメラを作りたいと思い立ち、自分が務めていた(これまた現在でも高名な光学機器メーカー)カール・ツァイス社でプロトタイプを提案したのだが、受け入れられなかったための転職だった。
エルンスト・ライツ社はバルナックの発想を認めて開発が開始され、1914年、バルナックは映画に用いられていたネガ・フィルムを写真用に流用するという画期的なカメラを制作した。これが世界初の(フィルムから引き延ばしても写真の画質の荒れが少ない) 35mmコンパクトカメラ、「ウル・ライカ」だ。


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※すべてのライカの、というより、すべてのコンパクトカメラのルーツ「ウル・ライカ」(ライカHPより、以下同じ)と、オスカー・バルナック。
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ただし「ウル・ライカ」はあくまで試作品で、2台が作られたのみ。もっと言えば、この時点では「ライカ」という名前も生まれてはいない。
次なる転機は1920年に訪れる。
『社主のエルンスト・ライツ1世が亡くなり、跡を継いだエルンスト・ライツ2世(Ernst Leitz II )がウル・ライカに着目、改良を加えさせた。折しも大不況の中、社内会議で発売中止に傾く中、エルンスト・ライツ2世はこれを製造に移すと宣言し、「ライツのカメラ」(Leitz Camera )との意で「ライカ」と名付け、1925年に市販一号機ライカIを生産、販売することになった。※(この部分は番組のナレーションが正確さを欠いたためウィキペディアより引用)
それまでの写真はフィルムと同寸の印画紙に転写するのが主流であったが、ライカはフィルムが小さく引き伸ばしを前提としたため、当時一般的でなかった引き伸ばし機がシステムの一環として販売されていた。やがて、フィルムが小さく拡大時に解像度が荒れる難点を、撮影時にレンズを使って被写体を大きく取り込むという逆の発想で解決し、さらに用途に応じた効果や倍率をもつ取り換え可能レンズをライカ共通の仕様で次々と発表し、報道写真、芸術写真など、ライカのカメラとレンズによって写真の表現は様々に展開していくことになる。

ちなみに、フィルムが36枚撮りだった理由、それは暗室の中でメジャーを使えないため、バルナックが両手を広げた長さがフィルムの長さと決められたことによる。それがたまたまフィルム36コマ分だったのだ。

番組はここからライカで働く職人たちにスポットをあてる。

『シンプルで無駄のない佇まいがドイツならではの堅実さを映し出しているかのような本社の、まず工場内の風景。
最新鋭の機械を使いフル回転させているかと思いきや、総て人の手によって作られている。
小さなネジで液晶画面を固定するのも、電子部分の色付けといった繊細な作業もすべて人力であり、ファインダーの調整は人の目によって行われる。こうした地道な確認の積み重ねが比類なき高品質のカメラを生んでいる。』

番組はここで、ライカで働く人々が語る”ライカの魅力”をまとめる。

まず、本社に勤務する日本人の開発マネージャーが語る。
『ドイツ人の人件費は世界一高いと言われているが、そのドイツ人がレンズの枠に墨を塗るという作業を一生懸命やっている。そのレンズもすべて一磨一枚チェックしていく。普通はサンプルチェックといって、抜き取り式検査なのですが、ライカの場合は常に全数すべてチェックするんですね。そういう手間かけ方が、普通のコンシューマー製品と全然レベルが違うんですね。ですから工場見学に来ていただくと、たいがいのお客様は『ああ、ライカがどうして高いのかわかりました』とおっしゃっていただけます』。
200~250ある組み立て工程、総てが手作業。工業製品でありながら、どこか人のぬくもりを感じさせるのはこうした手作業の賜物であり、こういうところはランゲをはじめ、高額ドイツ製品に共通する職人的(かつ頑固な)姿勢だ。

続いて開発部長のステファン・ダニエルがライカの魅力を語る。ま、ランゲでいう、デ・ハースね(笑)。
『ライカの魅力としてまず挙げられるのは、カメラが頑丈というところだ。見てくれ、これはベトナム戦争の時、カメラマンの身代わりに銃弾を受けた当時のライカだが、球を跳ね返しているのがわかるかな。さらにご覧のように、まだ使えるっていうところがすごいだろ。』
『小型のカメラの登場で、撮られる人が非常に自然な表情を見せるようになった。暗幕をかぶるそれまでの大きなカメラでは、撮影者の顔が隠れて機械しか見えないが、ライカだとカメラを構えながらも、互いの顔がわかりコミュニケーションが取れる。これこそがライカの一番の発明だったのかもしれない』

さらにカスタマーサービス部長。
『ライカの魅力は、ほぼすべての年代のカメラを修理できることです。どれだけ古くなっても直せるので一生使っていただけます。』
そしてカスタマサービスセクションが紹介される。
技術を伝承する70名のスタッフ、あらゆる時代の修理用の部品が約500万パーツ、古い時代のカメラのための当時の工具や計測器までが揃っており、未来永劫どんな機種でもライカを使い続けることを保証している。『単なるメーカではなく、ブランドであるという誇りの成せる技だ。』と番組は言う。

これは高級機械式時計のブランドにはほぼ共通する姿勢であるが、最後に登場したスポーツ・オプティックスのシリルは、何とライカの魅力を時計に例えるのである!

『ライカを買うということは、パティック・フィリップの時計を買うようなものです。それは将来への投資と言えると思います。あなたが買ったライカは、あなたの息子、そのまた息子が受け継いで、使い続けられます。それは長期的な投資と言えますし、これはある種、宝石とも言えるのです。そう、ライカは永遠に使い続けることのできる奇跡のプロダクトなのです。』

まぁ~! なんでランゲ&ゾーネと言ってあげないのか(笑)!!
ま、でしょうね、歴史的にも資産価値的にも、例えるならパテックなんでしょね。


そして番組はこのコーナーをこう締めくくる。
”最新がすなわち最高というわけではない”
ライカはカメラのみならず、広く工業製品全体に新たな価値観を提示したのです』。
これもまた時計と等しい姿勢である。




ライカに関するさらなる情報は、
http://jp.leica-camera.com/
※ヒストリーにご興味のある方は、HPのトップから、ライカの世界-最新情報/ライカフォトグラフィーの100年/ライカのカメラ誕生100周年。
と辿ると資料や画像が見られます。





なお次は、また違った意味で非常にドイツ的なブランド、ヴァ―レンドルフに触れてみたいと思っています。































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by A-LS | 2016-06-06 17:35 | 雑記