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夏休み自由研究②



前回より続きます。



『アドルフ・ランゲ前史~ドレスデンの300年』②




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  ※写真はアウグスト強王が竣工したツヴィンガー宮殿の門。塔の上の王冠はポーランド王を兼ねた強王の象徴として置かれたとされる。



ドレスデンにおいて、発展する都市化の恩恵に与った最初の領主がザクセン選帝侯アウグスト大王(1526-1586)だった。
王は近郊のエルツ山地から採掘される銀を裏付けとする富を蓄積し、大航海時代の賜物といえる世界中から得られた珍奇な文物やら、ルネッサンスがもたらした芸術品やら、当時の最新科学の結実である計測機器などの実用品を膨大に集め、それらを当時のヨーロッパで流行し始めていた「驚異の部屋(=ドイツ語でWunderkammer)」という博物館の前身のような空間に収蔵した。このアウグストのコレクションが後の数学物理サロンの基礎となり、ドレスデンの芸術・科学の発展に多大に寄与したことはいうまでもない。

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※選帝侯アウグスト大王(1526-1586)




その後ドレスデンは、30年戦争(1618~48)による荒廃や、ペスト流行というピンチに見舞われるものの、「アウグスト強王」の異名でも知られるフリードリッヒ・アウグスト(1670-1733)の登場によって大発展を遂げることになる。強王はポーランド王を兼任することで絶対君主としての権力基盤を強固にしたうえで、ポーランドの塩や、欧州で初めての硬質磁器(マイセン磁器)の製造に成功するなど、独占的な特産物を得ることでさらに商業を振興させた。派手好みだった王の趣向で宮殿や宴を飾るためという意味もあったが、強王は絵画、音楽、演劇などの芸術を奨励、職人を保護し、壮大なバロック建築となる聖母教会やツヴィンガー宮殿の造営に着手した。このようにして王都ドレスデンはヨーロッパにおける芸術と建築と科学の最先端が集う学術・学問都市となり、人々から”北のフレンツェ“と呼ばれるまでに繁栄した。

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 ※フリードリッヒ・アウグスト(1670-1733)



進歩的で自信に満ちたドレスデンの気風は、まさにこの強王の治世下に形成されたと言ってもよいが、後のアドルフ・ランゲに繋がる重要な施政は、次のふたつと言えるだろう。1723年から始まった「グリューネス・ゲヴェルベ(=緑の丸天井)」の創設と、1728年の「数学計器キャビネット(のちの数学物理サロン)」の整理である。
「グリューネス・ゲヴェルベ」とは、もともと王家の財宝や重要書類などを保管するために1550年頃に作られた保管庫で、天井がアーチ形を組みあわせた形状で、建材の一部が緑色に塗られていたことから、「緑の機密保管庫」と呼ばれていた。強王はこの保管庫をバロック様式の豪華な展示室に改装、王家伝来の財宝や工芸品を集めた博物館として広く公開したのである。わが国の天皇御物など21世紀の今日でも未だ公開されていない宝物が多々ある一方で、この19世紀の時点で、それまで王家や貴族のものであった“美”と“知”を公開した意義は特筆に値する。実物の機器や珍しい文物を実際に見るというインパクトによって、ドレスデン市民の文化・学問的興味や探求心が増幅されたことは間違いないだろう。

また「数学計器キャビネット」とは、ザクセンの歴代の王が取集してきた様々な科学計器や観測機器をひとつのコレクションとしてまとめ、かつまた体系的に整理し、新たにツヴィンガー宮殿に保管したものである。その際、時計だけは別にまとめられて王宮内の「時計の間」に置かれ、以来、この時計を管理・調整するため、宮廷時計師という後のランゲ家にも非常に関連の深い業務が生まれたのである。

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 ※王宮の2階に作られた数学物理キャビネット。驚異の部屋と博物館の中間的な存在。現在で言うと、東京駅Kitteの東大博物館がこれに近い展示方法をしている。




強王の晩年から、ザクセンは連邦の盟主的地位をプロイセン王国に脅かされ、またピヨートル1世率いるロシア帝国の南下など多難な外交関係に悩まされるなど、徐々にかつての輝きを失いつつあった。
そして、やがて勃発するフランス革命とそれに引き続くナポレオン戦争というヨーロッパ史の大波の中に巻き込まれていくことになるのだが、その時期のドレスデンを語る前に、少し寄り道になるが、王家や君主がなぜ時計や計測器を集め、そのコレクションに没頭するのかという、その理由の一端について触れておきたい。


そこには、歴代の王がたまたま同一の趣味を持っていたからなどという、偶然のようなレベルではなく、国家統治という彼らの最重要目的に関連する理由があるのである。













以下、次稿に続く。




















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by A-LS | 2015-08-15 14:52 | ランゲ&ゾーネ