ヴィンテージ覚書②~Lange”ドイツ海軍用(第二次大戦時)懐中時計”Cal.48
【解説:ドイツ海軍用懐中とは・・・】
第二次大戦前夜、ドイツ国家から一級クロノメーター製造企業の認定を受けていたランゲ&ゾーネ社が設計したムーブメント「キャリバー48(=Cal.48)」は、その高精度から陸海空軍の正規時計として採用されます。その精度基準はランゲ&ゾーネのいわゆる観測時計(B-Uhr=beobachtungsuhr)に準じています。
やがてドイツの国策によってこのキャリバー48の設計図は、IWCやLacoなどの二級クロノメーカー製造企業にも供給され、戦時下のドイツにおいて、国を挙げてこの時計が作られることになります。したがってこのキャリバー48は、ランゲの創立から現在までで、最も製造数の多いムーブメントということにもなります。
この2枚の写真は、同じキャリバーCal.48から製造されたランゲ製の時計ですが、空軍用(パイロット・ウォッチ:写真右)は夜間飛行作戦時など、暗所での視認性が重視されたため、黒文字盤に蛍光針+センターセコンドという仕様になりましたが、海軍時計(デッキ・ウォッチ:写真左)は、マリンクロノメーターのタイムキープ(ゼンマイ巻き上げ時間のチェック)が主業務ということもあって、パワーリザーヴが必須の機能となり、空軍と海軍とで、このようなデザインの変化が生じました。
今回は、この海軍時計を紹介します。
先ほども触れましたが、このタイプの懐中は先の大戦中にマリンクロノメーター(船時計)の補助時計として使われていました。
船舶において、自らの位置を把握するうえで、時間と速度、そして距離は欠かせない条件ですので、船の主時計であるマリンクロノメーターが精確であることは必須でした。
そこでこの海軍懐中時計は、一船舶に3個ずつ割り当てられ(一個の時間が狂っても残りの2個で多数決的に補正できる)、マリンクロノメーターの精度キープ、チェーン(ゼンマイ)の巻き上げ時間の確認などのため使用されました。それほど正確さを要求されたため、担当者以外は時分針をいじれないよう、鍵のかかる木箱に入れて使われました。
また、この懐中時計は、上のように木箱に収納されデッキウォッチとして使用されたほか、軍功を挙げた兵士や一部高級将校に配布されたりしたため、このデザインはドイツ国内に広く浸透したようです。
そうした伏線を経て、復興ランゲがこの海軍仕様懐中のダイヤルを1815UP&DOWNのデザインの原型としたことは有名です。
ただ、海軍用の元祖UP&DOWNと、復興ランゲの1815UP&DOWNとの最大の相違点は…「AB」と「AUF」の表示位置が逆、
つまり、パワーリザーヴの巻き上げ方向が正反対になっている、ということです!
(上の写真は2つともにパワーリザーヴが”ゼロ”の状態を指しています。)
この部分に関していえばツァイトヴェルクのほうが歴史に忠実なデザインになっていますね(笑)。今にして気づいたのですが、ツァイトヴェルクのデザインって、マリンクロノメーターがベースになっているといってもいいかもしれませんね!
先ほども触れたように、これらCal.48の時計はランゲ以外の時計メーカーでもまったく同じデザインで国をあげて量産され、軍に納められたため、ダイヤルは製造会社名の入らない無銘の状態(一番上の写真を参照)が普通で、下の写真のように製造社名はムーブメント上だけのクレジットとなります。
ナチスドイツ降伏後からランゲがGUBとして接収されるまでの、ほんの僅かな期間に作られたCal.48懐中(つまりLange VEB製)の幾つかに、ランゲ銘の文字盤が使われている例があるということです。
ただ、第二次大戦中に製造された海軍時計にもランゲ銘のある実例を2例ほど見たことがあります。
ひとつは1943年製、もうひとつは1944年製、上の写真がまさにそのうちのひとつ(44年製)です。
調べた結果、この2つには、納品先がランゲと非常に深い関係を持つAndreas Huberであったという共通点がありました。
このことが、謎を解く何らかのヒントとなるような気がしています。
また、重い歴史…と言いますか…、当時の海軍懐中の裏蓋には下の写真のようなエングレーブが施されていました。
戦後、この紋章の使用は禁忌とされたため、現在流通する多くの個体では、裏蓋の紋章が削り取られている例が多いのですが、マニア間で言うところの”完品”とはこのマークが削られていないものを指すことがありまして、趣味の収集とはいえども、なかなかに重たい問題を含んでいたりもするのでした…。