a-ls 時計(Mechanical Watch Users News) blog.

alszanmai.exblog.jp

ランゲとエナメル

技術も文明も日々進化しているので、あらゆるものが過去よりも素晴らしいものになっているというイメージが、わたしたちには強くあります。しかし、中には例外もあります。たとえばエナメル文字盤もそのひとつではないでしょうか。

18世紀以降の時計の文字盤はエナメルで作られるのが主流でした。
こちらのヴィンテージ・ランゲは、1890年代に制作された懐中時計を腕時計化したものです。
b0159560_1811276.jpg


この当時のエナメル文字盤は、現在からみても驚くほどクオリティが高いのですが、その技術や工房の多くが、20世紀初頭から盛んになった金属文字盤に押されて廃業し、失われてしまっているそうです。
一瞬思うのは、現代の機械技術や化学技術をもってすれば、エナメルの技術など簡単に復興できるのではないか、ということです。しかし今日の技術は、「大量に・早く・便利に」といった面に重きが置かれていて、中世~近代にかけて伝承された生産効率の悪い手仕事的な技術、「少数でも、高品質かつ芸術的なクオリティ」を職人的な工房で継承してきたエナメル技術のようなものは、むしろ当時よりも劣化しているのです。
b0159560_18275244.jpg


リヒャルト・ランゲPLMもエナメル文字盤を採用していますが、2度の大戦を越えて営業しているエナメル文字盤工場は、スイスの2社がかろうじて存続しているのみだそうで、そこに各時計ブランドの発注が集中するため、リヒャルト・ランゲPLMで、ダイヤルの納品は月産2枚ベースだったそうです。
b0159560_18313654.jpg
b0159560_18315817.jpg


運良く綺麗なダイヤルに巡り会えれば幸いですが、同じリヒャルトPLMの文字盤でもけっこう仕上がりに個体差があるそうで、納品当初はしばしば交換依頼があったそうです。わたしの身近でも何人かが交換されています(汗…。
そうした交換の対応分も必要だったため、新製品に回せたのが平均月2枚だった、という言い方のほうが正しいのかもしれません。

また19世紀の技術が復興できない理由のひとつとして、当時に使われていた薬品のいくつかが、現在は有害指定され使用できなくなっていることもあります。なにせ、時代で言えば江戸末期、まさに只今ヒット中のドラマ「仁」の時代の話ですから、無知や迷信の中で相当有害な薬品も使われていたと思います。日本でも、たとえば和傘や作陶、木彫や切子硝子など、再現困難な当時の技法・技術は数々あります。

過去と現在のツーショット

b0159560_1838653.jpg



でも、こんな状況を変えてくれそうな、希望の星といわれているのが、ドミニク・バロン女史です。
彼女は現在、さまざまなブランドとさまざまなプロジェクトに取り組んでいるようなので、
その成果がいまから楽しみなところです。
その辺りの流れと、来日した女史のレクチャーの模様は以下に詳しいです。
http://ayty.sblo.jp/article/43332780.html#more(tyさ~ん、引用させていただきます)。

バンクリとバロン女史とのコラボ作品▼
b0159560_1841814.jpg

白の単色エナメル文字盤
b0159560_1843125.jpg


バロンj女史の芸術的な感性はもちろんですが、これまでは工房で一子相伝のような形で秘匿されながらかろうじて生き残っていた技術を、開かれた組織で、広く人材を募集し技術の教授・伝承をオープンにしつつ、企業としてその発展を目指しているのが素晴らしいところでもあります。

現在彼女の元には、リシュモングループからの数社をはじめ、かなり多くのブランドからのオファーや技術の開発依頼が舞い込んでいるようです。
わたしもこのセミナー後の歓談で、ランゲの文字盤に関して彼女にいくつかの質問をしましたが、
「今あなたがした質問のすべては、わたしたちとランゲがここ2年の間に解決しなければならない課題となっています」という言葉を得ました! もしかしたら数年後のバーゼル・SIHHで、各社のエナメル新作が競合したりすることもあるのでは……(笑)







最後にエナメル雑学です。
よくきく言葉、
「エナメル」「クロワゾネ」「ポーセリン」の違い

をごくごく簡単にまとめました。


●エナメル (仏:エマイユ、日:七宝焼き) は、細かく砕いたガラス質をテレピン・オイルで溶かして、金、銀、銅等の金属板にガチョウの羽で作ったハケで均一に塗り、約800度の小さな炉で焼くという過程を何回か繰り返し(金属化合物を加えて色をつけたりして)、焼き付けた物の総称です。真っ白な文字盤は単色エナメルという分類になります。繰り返し焼く過程で破損するなど、歩留まりが悪く、金属ダイヤルよりも高価になることが多いです。

下はその名もエマイルと呼ばれ、ランゲ復興10周年記念時計として発表されたランゲマティック。現行ランゲが製作したエナメル文字盤の第一号です▼
b0159560_1964247.jpg

(実はこの時計、“エマイユ”と呼ばれるのは日本だけなのです…。アメリカではランゲマティック・“アニヴァーサリー・ジュビリー”、ヨーロッパではランゲマティック・アニバーサリーなどと呼ばないと通じません。


●クロワゾネ(仏語、日:有線七宝)は、より高度なエナメル技術で、土台とする金属板の上にさらに金属の仕切り線(クロワゾン) をロウで貼り付けて輪郭線をつくり、その枠の中にエナメルを流し込んで装飾するもので、日本でいうところの有線七宝と同じ工程のものです。

b0159560_1944319.jpg

クロワゾネ(有線七宝)文字盤の制作工程(from ヴァシュロン・コンスタンタン)の画像がありましたのでUpしておきます。文字盤のそばにあるのが、クロワゾンと呼ばれる金属の仕切り線です。


●ポーセリン(英語、日:白磁、磁器)は、磁器土(カオリン)を(時計の文字盤の場合であれば)銅製の原版に塗り、大きな炉で1200度以上の高温で焼いて乳透明の白素地をつくり、そこに無色の釉薬をかけた磁器の総称(=白磁)。使用する釉薬によって彩色、絵付けが可能で、土の産地や絵付けおよび造形の特徴から、有田、九谷、マイセン、セーブル、景徳鎮など、窯ごとに分類呼称されることが多いです。
時計の文字盤ではPPのトロピカルなどが有名ですが、割れやすいうえに、焼くと縮むため、その縮小率を想定した絵付けが必要となります。ですから、精密な目盛りを要する文字盤などに使うのは容易ではないということを聞いたことがあります。

ごく簡単に言うとこんな感じの違いでしょうか…
さらに細密な分類、磁器と陶器の違いとか、土によってハードペーストとソフトペーストに分けられるとか、カオリンの代用品として骨灰を使うボーンチャイナなどまであって、厳密なところでは、実はわたしもよくわかっていないかもしれません…(汗)。


PATEKは2004年にフルッキガーという老舗の文字盤工場を買収しており、他ブランドとは違う文字盤制作ラインを持っています(この買収という裏付けがあったから、あの時期の5115の発表になったのだと思います)。
ちなみに、フルッキガーはパテック以外の発注はほとんど受けないそうですが、唯一H.モーザーだけが全モデルの文字盤をここに発注しているそうです。ということは、モーザーのモナードには黒エナメルがありますから、例のオンリーワン・ウォッチに出品された3939をはじめ…PATEKもやればできるんでしょうね・・・???


【6月29日追記】
tyさんのコメントを受けましてモーザーについていろいろと調べましたところ、その過程で、エナメル文字盤に関してはPATEK PHILIPPEも他のブランドと同じく、ドンツェ社とスタン社という、記事中にも触れましたエナメル老舗2社への発注という現状が明らかになってまいりましたので、上記ブログはそのように訂正させていただきます。
また、オンリーワン・ウオッチのステンレス3939は、おそらくドンツェ社の渾身の作と思われる黒エナメル文字盤仕様であるようです!
間もなく、アワーグラス銀座に展示されますので、
http://alszanmai.exblog.jp/15819831/
今から楽しみです。
[PR]
トラックバックURL : http://alszanmai.exblog.jp/tb/15791112
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by ty at 2011-06-19 21:07 x
こんばんは!
誤解や混同の多いエナメルを分かりやすく整理していただき、勉強になりました!


ドミニク・バロンさんの工房には、衰退しきってしまったエナメル技術の復活・発展を期待したいですね。ポンテザムルーのコントルジュールは思わず資金繰りを計算したくなるくらい素晴らしかったです。

H.moserの黒エナメルの限定モナードはかなり昔の製作だったかと思いますが、当時からフルッキガーだったのでしょうか。何年か前に文字盤の工場をチェンジしたという話も聞いたような記憶が・・・!?
Commented by M at 2011-06-20 10:28 x
おはようございます。
エナメル講座分かりやすかったです。

実はエナメル文字盤をもっていません。
それだけにエナメルに対しての憧れがあります。

出来ればドミニクさんの文字盤欲しいです。
今後もランゲに注目ですね。
Commented by a-ls at 2011-06-20 12:30
tyさん 引用を大目に見ていただきありがとうございます!
黒エナメル限定モナードの件、なるほどと思い、いろいろ調べてみましたが、確かにH.moserがいつからフルッキガーに文字盤製作を発注しているかはいまだ判然としません。引き続き調べて、何かわかりましたらまたコメント追加します。こういう歴史調査はなぜか萌えますね(笑)。ご示唆ありがとうございます。こちらこそいつも大変に勉強になっております。
Commented by a-ls at 2011-06-20 12:35
Mさん こんにちは!
ランゲ&バロン女史とのコラボ、どんな作品となって世に出てくるのか、非常に興味がありますね!!
ソヌリ+クロワゾネ・・・とか・・・(笑)。
でも、買える範囲(価格帯)のものであってほしいです・・・ね
Commented at 2011-06-26 21:40 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by a-ls at 2011-06-27 16:17
エナメルの多少のムラはアジといえますからね。
どうか、お大事に。
Commented by a-ls at 2011-06-27 17:28
それから、以前お問い合わせいただいていた件にご返事失念しておりました、すみません。サイズとデザインは得難い組み合わせで、腕が細い方にはなかなかと思いますが、その反面、ダイヤルの表情にもよりますが、やはり女性的な趣が強いかもしれませんね。
Commented at 2011-06-27 18:19 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by a-ls at 2011-06-29 21:35
tyさん 調査が遅くなりまして、大変申し訳ありませんでした。
結論から言いますと、どうやらフルッキガーではいまだエナメル文字盤の製作は行われていない模様で、やはりエナメルは前述した2社への発注のようですので、本文でも訂正しました。
いろいろとありがとうございました!!
Commented by a-ls at 2013-12-01 14:34
エナメル文字盤関連の記事を書こうと過去記事を見直していたのですが、ここにもちょっと加筆しておきます。
今年、パテックの工場見学をした際、「カドラン・フルッギガー」も見学さえていただきましたところ、2年ほど前(つまりこのブログやコメントが書かれていた頃)から、フルッギガーでもエナメル文字盤にの製作に着手していたようです。2013年の5539の黒文字盤はまさにその成果のようです。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
by a-ls | 2011-06-19 19:13 | ランゲ&ゾーネ | Trackback | Comments(10)